抗がん剤は血液検査を受けながら服薬と休薬を繰り返して使う。服薬、休薬を1セットを1クールとして、数回繰り返してからCTなど各種検査を受け、癌が縮小しているかどうかを調べる。縮小がみられなければ薬を替える。
一般的に抗がん剤投与直後は副作用がキツく、休薬期間は身体が楽になる。もちおは昨日から休薬期間に入った。次の投薬までにやりたいことがたくさんある。
まずはてこ実家近くの温泉へいき、帰りに会社へ寄って用事を済ませ、はてこ実家へ顔を出した。継母はもちおが来ると聞いて、もちお向けの晩ご飯をあれこれ考えていたようだけれど、予定が詰まっているのですぐ帰ると伝えた。ちょっと、拗ねていた。
「じゃあこれ、持って帰りなさい」と用意していたお見舞いを渡された。桃のシロップ漬け缶詰、生姜のシロップに生姜飴。むーん。
今後の事もあるので礼を述べてからもちおが食事療法として砂糖を避けていることを伝えた。「じゃあこれ、みんなダメじゃない」「ありがとう、気持ちはとてもうれしいんだけど…」気まずい沈黙。
「しょんぼりしていて元気がないとき、病気見舞い、食欲のないときには甘いもの」と思っている方からしばしばお見舞いに甘いものをいただくことがある。しかし星の数ほどあるガンの食事療法で共通してみられることがただひとつあるとすれば、砂糖と小麦を避けろということなのですよ。*1
「じゃあはてこが食べればいいじゃん?」はてこは中年期を過ぎてからめっきり甘いものを胃が受け付けなくなってのう。あと自閉症者に多いという小麦の遅発性アレルギーがあるようで、小麦を摂ると激しく情緒不安定になるので避けておるのじゃ。*2
というわけで、我が家ではいまスイーツなら干し芋。チョコレートより焼き海苔。血の滴るようなビフテキ*3より地べたを走り回って育った鶏肉あたりがうれしい。
ところがですよ。
「というわけで、これは食べられないの。お気持ちだけいただきます」
とはてこがいうと、もちおが横から
「あ!もちお、それ食べたい!」
とか、いうわけですよ。
「え、食べるの?」
「うん!ちょっとずつ食べる」
「まあ、そう。食べられるなら食べなさいよ。ねえ、ほら持って行って」
二人きりのときは「食べないから断固出してくれるな」というものを、よそさまにすすめられるとよろこんで「食べる!」という日和見なもちお。これをよそさまの前でもちおはちょいちょいやる。これじゃはてこが子供に甘いものを禁止している厳格な母親みたいじゃないですか。継母も「なんだ、はてこが禁止してるのね」っつー顔してますよ。違うのに!
もちおは相手がしてほしそうなことを、自分がしたいこと、すべきことだと感じるところがある。なので相手が飲んでほしいと思っていれば急性アルコール中毒寸前まで飲むし、相手が食べてほしそうならあとで吐くまで食べる。癌によくないと徹底して避けていたはずのものも食べようとする。
そして「この件についてどうしたいの?」と白黒はっきりさせようとされるのを嫌う。わたしがどうしてほしがっているのか探ろうとしたりする。もちおの「どっちでもいい」はだいたいどっちでもよくないときに使われる。「これからそうする」は「そうしたい」という意味でも、「そうすることに決めた」という意味でもない。
こういうの、アスぺルガーシンドロームなワイフにはとても困る。わたしだってある程度は場の空気と相手で食べるものや飲むものを変える。でも命がかかっているときにまでそうするというのが、わたしには理解できない。
実家は「もちおはうちに来るとなんでも喜んでよく食べる」と喜んでいる。しかしもちおはあとで苦しくて呻いている。二日酔いのときと同じだ。相手の喜ぶ顔見たさに無茶をして苦しむ。この期に及んで。
「あとで苦しがるからすすめないで」といいたい。でも言った端からもちおが「大丈夫!食べたい!」といえば、周りは「はてこが過敏になってもちおの食事を本人の意思を無視してコントロールしている」と思う。
こういう家族の顔を潰してまでする命がけのファンサービスは止めていただきたい。
もちおは自分の身体のために自分で選んだサプリを飲んだり健康法をやったりするたびに「はてこのために今日もあれを飲んだよ!やったよ!」と言いに来る。*4自分のために生きるのは難しいんかいのう。わたしもつい「ありがとう、がんばったねえ」とかいっちゃうんだよね。でも自分のためじゃないと、はてこのためにやってるなら、はてこを嫌になったらやめちゃうじゃない。それじゃ困っちゃうわ。
↑「おもしろかった」と簡単にいえる話ではなかったけれど、読み応えがあった。