BlendyのCMといえば原田知世が少女とふたりでほっこりしているというイメージだったんだけど、web限定とはいえだいぶ毛色の違うCMが去年公開されていたらしい。
このCMについていろいろな意見が出ている。わたしが思ったことに近い意見がid:pokonanさんのところにあった。
そう、そこそこ!わたしもそれ、気になった。
ルミネのCMが炎上したときあれこれ考えすぎて書けなかったので、まとまらないなりに書こうと思います。
母乳はどうやって出るようになるのか
乳牛と呼ばれる雌牛は、生後14か月~16か月で人工授精を受けて妊娠する。牛の妊娠期間は約9か月。子牛が生まれると出産後2か月ほどで次の人工授精が行われる。出産しなければ乳は出ないので、このサイクルは廃牛、つまり屠殺されるまで続く。つまりおっぱいが大きくても妊娠しない限りそこから乳は出ない。 ※乳牛 - Wikipedia参照
乳の出がいいかどうかは乳腺の多さと関係しており、乳房が大きいかどうかではわからない。授乳期間中に乳房が大きくなることと、生来胸が豊かであることは別だ。つまりあのCMが牛を擬人化したものであるとしても、女子高生がおっぱいを揺らすあの場面に必然性はない。
でもあれを健康的で牧歌的な、かわいい牛に感情移入できる場面だと思った人がいただろうなとも思った。少なくとも作り手はそう思っていただろう。なぜそう思ったかというと、以前ある医者とした話を思い出したからだ。
「おっぱい!おっぱい!」と母性神話
わたしはこれまでの人生で母乳が出るようになったことが二度ある。どちらも病院で出された薬の副作用だった。
はじめはなんだか最近胸が大きくなったな、と単純に喜んでいた。デコルテがきれいになって、これまで似合わなかったような服も着られる。やったー!ところがある日Tシャツの先端が濡れていることに気がついてぎょっとした。胸をぐっと絞ると乳白色の液体がにじんできた。
大混乱だった。なにこれ!なんで?!人にいってどうなるものでもないのに思わず友人に電話してしまった。電話を受けた友人も混乱。妊娠?いや身に覚えがないし。ほかに最近なにか変わったことは?・・・薬だ。
医師にその話をすると、「ああ、その薬は副作用で母乳が出ることがある」とこともなげにいわれた。先にいえよ!わたしが怒っているのを見て医師は少しあわてながらこう付け加えた。
「だけどきみは女性なんだから、母乳が出たっておかしくないだろう?むしろ母親になる準備が出来るっていうか」
「先生は男性ですが、額から髭が生えてきたら驚きませんか?」*2
「それとこれとは違うだろう!」
「女だからって妊娠してもいないのに母乳が出たら異常ですよね?!」
もちろん薬はそっこく変更されたが、医者のくせに女の乳房から平時に乳が出ても驚くにあたいしないと思っているのはどういうことかとわたしはおもった。
だからあのCMを見たとき「乳牛が乳を出すのは妊娠したときだけなんだから、出荷前におっぱいゆらす必要ぜんぜんないだろう。なにこじつけてセクハラ表現盛り込んでるんだ」と思ったが、そこに多くの男性が違和感を覚えないことにまたげんなりした。おっぱいはね、いつも乳がつまっているわけじゃないんだよ。乳牛はね、一生妊娠、出産し続けて乳を出しているんだよ。*3
「ミノタウルスの皿」との比較
牛を擬人化し、生殺与奪の権利を人間に奪われながらそれを誇りに思う様子を藤子F不二夫の「ミノタウロスの皿」と比較した意見もいくつか読んだ。
わたしは例のCMにそういったシビアな風刺が効いているとは思わなかった。むしろ作り手としてはお色気ありのぬるい感動物として作っているのだと思う。
また「ミノタウルスの皿」の見所はビジュアル的な残酷表現ではなく、家畜と人との関係を入れ替えて、その構造を考えさせる物語だ。自分たちが何を描いているのか自覚のないまま、女子高生のおっぱいをスローモーションで揺らして自社製品を誇ったCMとはまったく違う。*4
とはいえ家畜にも命があり、人と違うとはいえ各個体に個性もあり、彼らもみな生きているのだということをあのCMを通して考えた人も大勢いたと思う。「ミノタウルスの皿」のラストで主人公は泣きながら食事をしている。あの場面をどう考えるか。
わたしは何かの命を奪わずに生きることはできないと思う。だからせめて不用意に不安や苦痛を味わわせることなく、人道的なやりかたで動物を扱っているところから肉を買いたい。その分の値段が多少上乗せされているなら、その分食べる量を減らしてだいじに食べようと思う。*5
wikiの乳牛の項目を見ると乳牛の生涯は控えめにいっても悲惨だ。牛の寿命は自然界では20年、乳牛は6~7年で廃牛になるという。動物園に就職が決まった少女と、Blendyの乳牛になった少女の明暗は大きくわかれている。
酪農家だって愛玩用に牛を育てているわけではない。経済効率もあるだろう。わたしはこれからも乳製品を食べるし、牛肉も食べる。牛と酪農家にとって、食肉業界にとっていいお客さんになれるよう、できるだけ商品を選んでいきたいと思う。しんでくれた動物のためにも。