一人暮らしをしていたときのこと。やりたいことがあって、かなり長い間週3、4日のパートで生活していた。給与の手取りが10万円を超えることはほとんどなく、年金は免除してもらって健康保険や市民税、県民税は会社員時代の貯金を崩してカツカツで暮らしていた。
「文句があったら稼いでから言え、それができないなら一人前の口を利くな」が口癖だった親の援助はない代わりに自由があった。仕送りや小遣いをもらいながら経済制裁との板挟みで親を恨んでいた妹弟と違って、治外法権での暮らしは親も自分も社会人として対等にみることができた。*1
生活はいまでは考えられないようなつましいものだったけれど、自分のしたいことを信念もってやっているという確信があったので満足していた。それにけっこう趣味の面でも充実していた。家電は一通り持っていたし、山奥の一軒家で車を持っていたこともあった。服も流行の最先端とはいかないけれど、ちゃんとしたところへ出ても恥ずかしくない、自分に似合うきちんとした服を持っていた。ホテルのプールへアクアビクスに通い、英語や中国語を習ったり、一眼レフカメラで撮った写真を現像したり。絵も描いたし手紙も出した。本もたくさん読んだ。
そのころわたしが関わっていたコミュニティのなかに、あるときからわたしをあからさまに無視するようになった人がいた。わたしは嫌われることにはそれほど驚かなかったけれど、それ以前と態度があまりに違ったので、なぜなのか気になった。でも顔は合わせるけれど話をするほどの接点がない。挨拶をしても目をそらされ、近づくと立ち去られる。
何年かして、わたしが家族同然にかわいがっていただいていた家の奥さんがその理由を知って、教えてくれた。「あのひと、はてこちゃんを避けていたでしょ?今度から変わると思うわ。あのひとね、はてこちゃんをお金持ちだと思っていたの」と奥さんはいった。
奥さんはある用事でその人から車を出してもらうことになった。運転中にその人は「はてこさん、よく家に来るんですってね。あのひとお金持ちでしょう。いつも新しい服を着て」といったのだそうだ。*2奥さんはびっくりして、「ぜんぜんお金持ってないよ。古着を着ているのよ」とこたえた。その人はびっくりしていった。「だって、ブランド物を持っていることもあるじゃない」「それはいただきものよ」。バブル時代、実家の父家族は旅行にいくたびブランド物をまとめ買いして、知人、友人、飲み屋のお姉さんに配っていた。継母は「飲み屋の女になんかやることないのよ」といって娘に均等に土産物を分配してくれた。それで月々の生活費でひーひーいっているときに、どう使っていいかわからないブランド物の化粧品や小物を無駄に持っていた。*3
奥さんの予言通り、その人はその日以来わたしにぐっと親切にしてくれるようになった。そして後日用事で我が家へ訪れたとき、親族の遺言で不動産を相続し、相続税の支払いのためにパートをはじめたという話をしてくれた。「『お家もあるし、旦那さんが稼いでいるから、もう十分じゃない。どうしてパートなんかするの?』っていわれるのよ。みんな私がお金で苦労しているなんて思ってないの」と彼女はいった。彼女は、お嬢様だった。日頃はすっぱな口を利き、わざと乱暴にふるまって見せても、ぽろっと敬語やきれいなお嬢様言葉が出るような人。お金の悩みといえば相続税の支払いが大変で、新しい服を自由に買えないこと。
そういう暮らしをしている人にとって、ブランド物のバッグや化粧品は贅沢品だ。つまり必要なものをあれもこれも買って、そのあと余裕があったら買うものだ。新しい服を着ているならそれは当然新品で買ったものだし、服を買う余裕があるなら食費や光熱費、家賃その他はもちろん支払いが終わっているはずだ。
お金持ちは現実的な貧困生活が上手くイメージできない。オスカルはロザリーから泥水のようなスープをすすめられて、食事の前のショコラを所望した。よもや泥水スープがメインディッシュだと気づかなかった。
食べられない化粧品やブランドバッグを手放すわけにいかない親族関係や、中学時代から着続けて、虫食いで補修が難しくなったウールのスカートの代わりに500円で掘り出し物のリサイクル品を見つける生活が頭にない。「これからは節約生活をしようと思う。こないだはじめてバーゲンにいったの」といった友人に、節約っていうのはね、リサイクルショップを攻略することだし、いただきものを感謝して着ることなんだよ、と話して驚かれた。
中途半端に豊かな人ほどつましい暮らしを知っている気になり、本当に苦しい暮らしをしている人を批判する。
母はもちおが新しいPCを欲しがっていると聞いて、「はてこが着物を買うのを少し我慢すれば買えるでしょう?」といった。「着物なんか着て贅沢をするなら旦那さんにPCを」と母は思っていた。母の頭にあるのは呉服屋で反物から誂え、裏地の染を選ぶような着物であって、リサイクルショップで数千円だったり、中国製だったりミシン縫いだったりする通販で小一万の着物ではない。
あの頃愛用していた一眼レフカメラは職場の人からのもらい物だった。ホテルのプールでアクアビクスの契約をしたのはシャワー無料のジャグジーつきで、当時住んでいた部屋に風呂がなかったからだった。本は図書館へリクエストするし、家電はリサイクル品か貰い物で、フィルムを買って現像したり、切手や画用紙を買うのがいわば唯一の贅沢のようなもの、語学は夢への思い切った投資だった。
月に一万円の食費と決めていても外食することもあった。家で誰も待っていない暮らしで心底疲れ切るときの飢えは心も荒む。それは家で栄養価のある食事を準備してくれる主婦がいる暮らしの中の楽しみの外食とは違う。人は消耗しきっているときに、人のいるまともな場所であたたかな食事をしたいという気持ちになるときがある。それで残りの日々を切り詰めなくてはならないとしても。
NHKに出演した高校生が1000円のランチを何回食べていたとTwitterを見て鬼の首をとったようにさわいでいた人たちがいた。それらのお金は私が出したのだとお姉さんがTwitterで発言した。わたしはお姉さんの気持ちがよくわかるし、*4貧困層はランチを食べられないと思っている人たちの想像力の乏しさを痛いと思う。
「大草原の小さな家」にはローラの父親が苦しい暮らしのなかで娘に流行りの名刺を作らせる場面がある。「娘には同じ年頃の娘と同じことをさせてやりたいんだよ」とインガルス氏はいった。妹が友達と外食しながらおしゃべりをしたり、コンサートにいったりするお金を姉が用意したいと思ったとして、それが貧困ではない証拠になるだろうか。同級生と一緒に進学することをあきらめなければならないなら、食事やコンサートくらいいかせてやりたいと思うのは当然だし、その程度のお金を節約しても入学金にはならないのだ。
わたしがつましい暮らしでもそれなりに豊かに暮らせたのは、わたしの生い立ちのなかに貧しさがなかったからだ。親は祖父母から有形無形の財産を受け継いでいた。わたしは母から服の仕立てと生地の良し悪しを見抜くことを学んだし、旬の食材と手料理の楽しみとコツを、部屋を整えて飾る居心地の良さを体で覚えた。家にはいつでも手の届くところに良書が揃っていて、字が読めるようになるまでは母がそれを読んでくれた。父は頻繁に映画に連れていってくれたし、家に人を招いていたからひとづきあいの常識をそばで学ぶこともできた。だからこそつましい暮らしのなかで何を優先し、どのようにお金を使えばいいのかがある程度わかっていた。貧しさの中で育つとはこうした環境がないということだ。そしてこうした経験をお金で買おうと思ったら、本当に大変だ。
人の貧しさを語るなら、自分が育った環境の外にある貧しさと豊かさの両方を知る必要がある。もっともっと、その両方を知らないといけない。
現在わたしは思い上がれるほどたいそうな暮らしはしていない。けれどもこの幸運に日々感謝する程度には十分豊かで恵まれた暮らしをしている。わたしに貧しさと豊かさを教えてくれたのは何の得にもならない家出娘を自宅に招きいれてもてなしてくれたたくさんの人たちだった。こういう暮らしがある、こういう生き方があるとよくも悪くも目で見て体で学ばせてくれたのは自分の人生をありのままに見せてくれた人たちだった。閉じた扉の後ろから冷淡に支援に値しない理由を次々箇条書きにして読み上げるような人たちではない。
「あんなのは本物の貧困ではない」というアマチュア貧困鑑定士のみなさんには、もっとバラエティに富む貧困の味を知ってほしい。幸田文が「塩むすびのぜいたく」*5と呼んだ、中流で安定しているからこそ握り飯を作る余裕のある倹約生活は、切羽詰まった崖っぷちの貧しさとは違うことに、はやく気が付いてほしい。
*1:後年倒れて働けなくなって貯金が尽きても両親はともに支援しないと言い切った。そこにあらわれたのがもちお。そしてもちおとの結婚で親はある意味でもちおの手玉に取られ、だからこそ現在親とそこそこ円満な交流がある。
*2:パートで働いているのは知っていたけれど、裕福な身内に支援してもらっているか、不労所得があると思っていた様子。
*3:ピジョンブラッドルビーとダイヤと金の指輪とか。しかし着物や指輪は買値と売値の落差がすごい。
*4:母は高収入だったが妹に「贅沢をさせてはいけない」と思っていたので、妹はバイトをするまで学生時代小遣いをほとんど渡されていなかった。わたしは妹が不憫で毎月小遣いを数千円渡していた。
*5:家庭が落ち着いているときなら塩むすびで倹約も出来るけれど、家族に病人が出るなど有事には落ち着いて食事の支度が出来ない。そのような環境でとる店屋物は貧しい。塩むすびひとつでというが、塩むすびが作れるのは贅沢なのだ、という話。確か文庫化された「台所のおと」に収録されていた「食欲」という、夫を看病する妻の短編。