祖父の机を形見にもらったとき、引き出しの写真を撮っておいた。
実家で甥助と追いかけっこをしていたら、本棚の上に祖父が使っていた穴あけパンチがあることに気がついた。分厚いものに穴をあけるときに便利そうだと思って下してみると底に丸い屑がどっさり入っていた。晩年祖父はこうしたものを開け閉めするのに苦労していたので溜まってしまったのだと思う。
蓋を開け、丸い花吹雪のような屑をぱらぱらと手にとったら、ふいに幼い頃この丸いパンチの屑が大好きだったことを思い出した。会社の事務所が家の一角にあったころ、誰もいない時間に静かな事務所でよく遊んだ。メモ帳に落書きをしたり、冷蔵庫の麦茶を飲んだり、事務用品を勝手気ままに使って図画工作に励んだ。なぜかこの件で叱られたことは一度もなく、それが悪いことだと知ったのはずいぶん大人になってからだった。
父が祖父に事務仕事を依頼するようになってからは、祖父が事務所で仕事をしているところへ顔を出した。祖父は背筋をしゃんと伸ばし、整然とした机に向かって静かに仕事をしていた。気まぐれにやってくる孫の顔を見ると、顔を上げて「ほう」という。そしてそのまま仕事に戻る。事務所も祖父もあかるく穏やかだった。冬はストーブの上のやかんがしゅんしゅんいう音が、夏はエアコンがブゥゥゥンと静かに振動する音が、春と秋には冷蔵庫のモーターがときどき震えて止まる音が聞こえた。一時間置きに振り子時計が鳴る。
事務所はあかるくて、静かで、整然としていた。そして何かすてきなものが小さく呼吸しているような、それをびっくりさせないようにそっと動きたくなるような場所だった。平日の美術館や人気のない図書室、手入れされた温室みたいに。事務机と事務用品しかないベニヤ板で囲まれた事務所で、祖父は司書が本を整理するように事務用品を整え、庭師が草木を手入れするように、手際よく、精力的に働いているようだった。
祖父は手が空くと、裏が白いチラシを肥後守と呼ばれる小刀で切ってメモ用紙を作っていた。切った紙にパンチで穴をあけ、細長く切った紙を器用にねじり、こよりを作って綴じる。こよりとチラシとパンチは一箇所にまとめて置いてあった。
チラシはツルツルしたものとさらさらしたものがあって、ツルツルしたものは鉛筆で絵を描くのに向かない。わたしは祖父が作ったメモ帳に断りもなくせっせと絵を描いた。絵を描くのに飽きると、メモ帳にパンチで穴を空けた。紙をまとめて穴をあけると、パイ生地のように重なった屑ができる。小指の爪よりも小さい屑がどれも完全に同じ大きさで、完全に丸い。なんだかとても感心した。祖父の留守にパンチを調べ、屑がたくさんたまっていると大きな収穫をえたようで、うれしかった。屑ほしさに自分で作った屑は養殖。祖父が仕事で作った屑は、天然もの。
わたしは甥助を呼んでパンチの丸い屑を見せ、床に撒いた。甥助は「伯母がなにかいけないことをしている」という雰囲気を察しつつ、丸いパンチの屑を物珍し気に眺めている。「おじいちゃんのだよ」「おじいちゃんの?」甥助は遊んでくれた曾祖父のことをうっすらと覚えている。わたしはパイ生地のように重なった丸いパンチの屑を指先でぱらぱらほぐして見せた。重なり合う紙はチラシやカレンダーらしく、「お」「。」など文字がそのまま抜けているものがあった。「甥助の『お』があったよ」「『け』もあった!」床に撒いたパンチの屑を二人でさらに散らかす。胸が苦しく涙がこぼれそうになった。祖父が穴をあけるチラシを集めることはもうない。天然もののパンチの屑は二度と増えない。
あの聖堂みたいな静かな事務所と、そこで働く祖父が、もう二度と戻らないとはいったいどういうことだろう。わたしは試しに大人になってみたけれど、用が済んだらまた子供に戻って、あの事務所にまた遊びに行けるような、いつでも戻れるような気持でうっかりここまで来てしまった。
小さな指で床板の隙間にパンチの穴を押し込む甥助の頭に「おめでとう!おめでとう!」とパンチの屑をふりかけた。甥助も「おめでとう!」といいながら伯母をパンチの屑で祝福する。大人になるってなんて変な感じがするんだろう。祖父は、あの事務所でわたしをどんな風に眺めていたんだろう。こんな風に別れる日が来るとお互い知らずにいたあの日に。
甥助が門口に立ち、車の窓から手を振るわたしをしょんぼり眺めている。甥助、また遊ぼうね。遊べるあいだにまた遊ぼうね。また来るね。