瞑想中は呼吸に集中しろといわれるが、息をしていることを意識すると息が苦しくなる。「吐く時間を長く」「胸で息をしない」「深く吐ききる」「新鮮な空気を体の隅々に送る」もうダメだ。考えるだけで胸が苦しい。同じことが英会話にもいえる。
母はセブへ留学してからこれまでラジオ英会話でせっせと覚えた数々のフレーズを分解し、意味を学び始めた。a と the、in と on、have to と can の違い。母の質問に答えて講師らは構文を分解し、具体的なシチュエーションに置き換えて明快に説いてみせた。母ははじめのうち「これまでよくわからないまま丸暗記してきたけれど、説明を聞いてとてもよくわかった」と喜んでいた。そして徐々に自分の英語が正しいのかどうか悩み始めた。
「あんなに楽しかったのにいまはもう英語がいやなの。やればやるほどわからなくなる。聞いたその場はわかった気になるんだけど、ホテルへ帰って復習するとよくわからないし、次に聞いたときはまたわからなくなってしまう」
母はすっかり真っ黒になった大学ノートを開いて「先生はこれでいいっていうんだけど、ラジオではこっちを使うって聞いたのよね。これは過去分詞でしょう、助詞を使うときは」と眉根を寄せてあれこれ悩んでいる。良くも悪くもわたしには何の話なのかさっぱりわからない。
またグループレッスンの話題もしばしば母を悩ませている。フィリピン人は家庭を大切にするせいか、しばしば家族に関する質問や問題をテーマにディスカッションをしようとする。しかし我が家はサザエさんの世界からかけ離れた家族構成なので、これらの話題は常に非常にセンシティブでプライバシーに踏み込んだものになる。母がお茶を濁してもわたしが自分の家庭について話せば結局母のプライバシーに触れることになる。母は初対面の赤の他人を前に問答無用で自分の私的な人生を明かせと要求されることが身の毛がよだつほど嫌なのだ。
「結婚しているの?」も割り合いセンシティブな話題だし、「していましたがいまは一人です」でさらに理由を問われ「今年の夏に死別しました」と答えざるを得ないのも結構きつい。*1いろいろ思い出してぐらっとして泣きそうになる。もっと誰もが知っている赤の他人、歴史上の人物やフィリピン人、日本人の有名人でお茶を濁してほしい。
こうしたことが重なって、ついに母から「今日は学校へいきたくない」というLINEが来た。
わたしも今日は学校へいきたくない。なぜなら誰だか知らないが昨晩深夜にホテルの長い階段を景気よくスターン!スターン!と足音を響かせながら下りてくるやつ、廊下を端から端までペターン!ペターン!と行ったり来たりするやつがいたからだ。しまいにはノックの音がするが開けても誰もいないというユニーク&スペシャル案件疑いのこともあった。*2おかげで2時間少ししか眠れなかった。誰だか知らないが姿を見せずに足音だけアピールするのはいい加減にしろ。鬼太郎の下駄か。
よし、わかった。今日は授業をさぼろう。さぼって金に物を言わせて贅沢をしよう。青い海、白い砂浜、南国の果物、あふれんばかりのフィリピン料理を母と二人で堪能しようじゃないか。いつにも増して警戒心が高まっている母はもちろん母は財布を開きたがらないだろう。OK,こんなこともあろうかと残しておいた円をペソに替えようじゃないか。キャッシングをしてもいい。
わたしは学校に欠席の連絡をして昼から母と出かけた。そしてタクシーで世界に誇るセブ島シーサイドマクタンビーチへいくつもりだったのだが、なぜかジプニーに乗ることになった。
初ジプニー
ジプニーとは軽トラの荷台に座席と金属製の幌をつけて乗合いバスにしたような代物で、セブ島のいたるところを走っている。運賃はどこまで乗っても7ペソ。二人で14ペソである。
このサイズで20人前後乗る。排気ガスがすごい。
この日は朝から何も食べていなかったので、まずフィリピン料理を食べるためにアヤラモールへいくことになった。「アヤラモールに日本人が経営するパン屋さんがあるんですって」っていうんですよ、母が。別にパン好きじゃないのに。そんなに日本が恋しいのかと思ったらかわいそうで胸が痛い。
ホテルのフロントでアヤラ行きのジプニーの番号を確認し、お目当てのジプニーが流してくるのを待つ。ジプニーは流しの循環タクシーのようなものなので、停留所も時刻表もない。なんとなく乗り降りする人がたむろする場所を見つけて座席が空いてそうなジプニーが来たら後ろから黙って乗り込む。
乗ったら7ペソを運転席寄りの乗客に渡す。乗客は律儀に手渡しを繰り返して運転手に運賃を渡し、運転手は運転しながらお釣りを計算して返す。釣りは再びリレー形式で支払った乗客のもとへ届く。乗客は互いを信じて運賃リレーをする仲である。
ジプニーの天井は極めて低く、窓はあっても窓ガラスはなく、大きさといい形といい幼稚園の遊戯用バスのようだ。頭を膝近くに寄せてぎゅうぎゅう詰めで座っていると外が全く見えない。膝をおっぴろげて座るようなおっさんは誰もいない。スリはいるそうだが、痴漢はいないんじゃなかろうか。仮にいたとしてもこの状況で女の尻を触るような男はすぐに引き摺り下ろされると思う。
幸いわたしより座高が低い母はいくらか外が見えたようで、無事アヤラモールへ到着することができた。降りたくなったら天井か壁をノックする。運転手はどこにでも止まってくれる。
ジプニーを降りて歩き出すとすぐ、母は悲壮な顔で噛んで含めるように「はてこは自分が人を見ためで判断しないから、人が自分をどう見ているか昔から考えないところがあるわ。でも少し自分がどう見られているか考えた方がいいわよ。髪がバサバサよ」といった。スキンヘッドや丸刈り以外でジプニーの暴風に吹かれて髪がバサバサにならない人がいるなら教えてほしい。
母はいまも昔も四六時中といっていいほどわたしの見た目を何とかしろといってくる。これは四六時中といっていいほどわたしの見た目は最高だといってくれた夫があらわれるまで人生を縛る足枷のようなものだったので本当に迷惑である。こうした発言は娘への複雑な感情に起因する呪いなのかと思っていたが、今回席を並べて異国で学んでわかったことは、母は警戒心が高まると自分と身内の重箱の隅をつつくようになるということだった。ジプニーを降りたとたんにヘアスタイルの乱れは無頓着さからくると真顔で言い始めるのはどうかしている。*3
フィリピン料理店ではしゃぐセブワノスタッフ
アヤラモールに入って最初に目についたフィリピン料理店に入る。 社会見学としてジプニーに乗ってきたけれど、今日は金に糸目はつけないぞという決意である。メニューも見ないで入った。店は清潔で広々している。スタッフもきちんとしている。見るからに金持ってそうな家族が退屈そうに料理を待っている。高そう。でもいいの。あたしだってやるときはやるのよ。
名物料理を尋ね、言われるままにスープと肉とサイドメニューを頼む。ボーイは静かにメニューを下げ、入れ替わりにテーブルセットをはじめる。
「Good afternoon ma'am」
「マイヨンハポーン」
恭しく英語で挨拶してきたスタッフにセブ語であいさつを返す。
「セブ語を話せるんですか?」
「セブ語を学んでいるところなの」
セブ語単語帳を見せるとボーイは相好を崩して微笑んだ。というより、ゲラゲラ笑いだした。
「マジで?!ワーオ!グワァプカ(ハンサム)だって!おい、見てみろよ」
「へえー!ねえ、こいつグワァプカっすか?」
「え、うーん…」
「ガメイラ?」
「ガメイラって?」
「『ちょっと』ってこと!ちょっとハンサム?」
「あー、うん」
「おい!おまえちょっとハンサムだってよ!」
仲間の背中をばんばん叩きながらゲラゲラ笑うスタッフは先ほどの恭しい態度と打って変わっていまや完全にカタコトの外人に大うけの学生である。
「なんでセブ語やってんの?」
「ここはセブでしょ?」
「そりゃそうだ!おい!ちょっと来いよ」
最初に話しかけたボーイが奥から次々別のボーイを連れてくる。そして「ねえねえ、こいつグワァプ?」を繰り返す。何回やらすんだよ。子供か。
ようやく料理ができたが写真を撮ろうとするとボーイはべらべら喋りながらあっという間に肉を切り分け、サイドメニューに乗った玉子焼きををぐちゃぐちゃかき混ぜてしまった。「あああ!」
「はい、どうぞ!これバボイ。バボイはピッグのこと。日本語で豚は何?ブタ?ブタとブタニクはどう違う?へえ!ブタニク!ブタ!」「ねえねえ、こいつ日本語学びたいんだって。な!」「うん」「『ワンピース』が好きなんだ」「うん」「ねえ、わたしランチが食べたい」
これから飯食うからあっちいけとはっきり意思表示をしたとたんにボーイたちは言葉もなくするすると厨房へ引き下がった。母は目をぱちくりさせ、小声で「やっと静かになったわね」といった。すっかり懐いておしゃべりが止まらずテーブルを離れない甥姪たちを思い出す。セブワノ、マジで人懐っこい。おかげでメニューの写真も料理の写真もほとんど撮れなかった。
その後やってきたボーイは微笑みを絶やさなかったが口数は少なく、店にふさわしい慇懃さを保ってサービスしてくれた。もうセブ語の話題はふるまい。
ようやく人心地ついて厨房を見ると問題のボーイらが見えない。怒られたのか反省したのか奥へ引っ込んだのだろうか。 もうちょっと何か言い方があっただろうか。語彙が不足しているとこういうときあかんな。あの子らも悪気でやったんじゃなかったのにな。
と、思ってよく見たら制服を脱いで客席でまかないを食べるボーイたちと目が合った。こちらに気づくとソファに寄りかかりすっかりくつろいだ様子で「イェーイ!」と手を振ってくる。ぜんぜん心配することなかった。
会計は900ペソ少々。一度に1000ペソ飛ぶとはさすがアヤラモール。しかし「すっかりごちそうになっちゃったわ、ありがとう」と母もうれしそうだし、あまりない経験もできたしよかった。というか、考えたら二人で2000円ちょっとだからぜんぜんたいしたことなかった。
バカンスへ出る体力と気力
このあとタクシーでマクタン島へ乗り込んで高級ホテルに一泊してバスタブで思う存分足をのばすぞ、と思ったが、結論からいうと昨晩の寝不足が祟ってわたしはこれ以上たっているのも嫌だった。考えてみたら翌日は朝からTOEICテストだし、午後から学校主催のアウトリーチプログラムで昼からちょっと遠出するのだ。今夜はホテルへ戻らなければならない。
せめて母が行きたがっている日本人が経営するパン屋を見つけようとアヤラモール周辺をうろついてみた。しかしガイドブックが出されたあとに周辺の環境が変わったようで、歩いても歩いてもそれらしき建物はない。
アヤラモールはピッカピカだけれど、アヤラモール周辺は荒みストリートシティ編という状態だった。まばゆい高層ビル、ゴミだらけの植え込みの脇を闊歩するビジネスパーソン、ハンカチで鼻を覆う外国人たち、路肩では物乞いのおじいさんが無表情で鈴を鳴らしている。ふと思いついてレストランから持ち帰った料理の残りを思い切って手渡してみた。おじいさんは怒りもありがたがりもせずそれを受け取った。これ以上ないくらいの自然さだった。
知らない町を歩くのが好きな母は荒みストリートウォーキングをそれなりに楽しんでいるようだったが「あそこ、公園じゃないかしら」「ねえ、あっち公園になっているんじゃない?」とたびたび通りの向こうの緑を指さす。例のごとく信号のない道を渡って土地勘のないところをさまようのは腰が引けたので受け流していたが、「公園にいきたいの?」と聞くと「静かで空気のいいところへいきたい」というのでまた気の毒になる。今日は美しい海を見ながら贅沢させてやるぞと思っていたのになぜかビルの谷間で工事現場を見ながら粉塵まみれの午後である。
ようやくアヤラモールへ戻る。母はもともとひとりで出歩くのが好きなのに、こちらへ来てからほとんどわたしと一緒だ。これがいけないのかもしれない。モール内ならわたし抜きで出歩いても心配ない。わたしは1時間350ペソのスウェディッシュマッサージを受けることにして母と別れた。マッサージを終えて出てくると店の前に母がいる。「スマホの調子が悪くて電波が届かないから戻ってきたの」母は知らない町を歩くのは好きだけれど、ブランドショップをのぞくのはまったく好きではない。*4
こうしてわたしたちはこれといった贅沢もせず、美しい景色も高級リゾートも経験せず、屋上レストラン街でフィリピン名物スイーツ「ハロ・ハロ」を食べ終えると気が済んでしまった。
なんとか名物の貝を頼んだが、食べ終えるともお腹いっぱいである。母には悪いがあらためてフィリピン料理のディナーとしゃれこむ気力も体力もない。とにかくもう寝たい。
資金は潤沢でも体力、気力がないとバカンスは楽しめないということがよくわかった。遊ぶなら元気な時に限る。「仕事を離れたらあれをやろう、これをやろうと思っとったけど、年をとったらあれもこれもできん。できるうちにやっとかんといけんねえ」といっていた祖父を思い出す。
一階の屋外広場まで来ると大音量で公開収録らしきイベントが開かれていた。
母はステージを横目で見ながら「ほんっとにうるさいわ」と言って耳を塞ぎ、出口に向かって歩いていたが、ふいに立ち止まると「きれいねえ!」といってスマートフォンを出した。「これ、どうやったら撮れるの?」母のカメラ画面をのぞくとステージの上に月が出ていた。
帰りはタクシーで楽して帰ろうと思っていたのに、なぜかどちらが言い出すでもなくまたしてもジプニーに乗ることになった。道は混雑しており、方向が逆だったせいもあり、一時間ほどかかった。文字通りの意味で汗だく埃まみれである。おかしい。いまごろ高級リゾートホテルで海を眺めながらバブルバスを楽しみ、カクテルの一杯も飲んでいるはずだったのに。
途中親切な乗客のアドバイスで乗り換えたり、乗り換えた先の運転手に釣銭をごまかされそうになったり、ようやくホテルへ帰りつくと母は疲れ切ってすっかり無口になっている。母の笑顔はランチを食べ終えたときがMAXであった。地味に落ち込む。マッサージを受けているときもちおを思い出してずっと泣いていたので落ち込むとまた悲しくなる。しかしとにもかくにももう眠い。わたしはシャワーも浴びず、着替えもせず、ブログも更新せずベッドに倒れこんで、気が付いたら朝だった。
さぼりの功名
母は翌日TOEICテストをさぼった。これは前々からいっていたことで、ドタキャンではなかった。「卒業証書もいりませんからTOEICテストは受けないですむようにしていただきたいんです」と森田社長に直談判してお墨付きをもらったのだ。
わたしは少し考えたがネタになると思ってTOEICテストを受けた。案の定結果は散々だったが、これでいいのだ。こんなことでもなければTOEICテストなんて一生受けることはなかった。
ランチタイムになってはじめて母を見た。
「テストが終わってよかったわ」 母は晴れやかな笑顔でいった。「受けもしないでこんなことをいうのはおかしいけれど、気になって気になって仕方がなかったから、終わったと思うとすっとするわ。今日はご飯も美味しいし」
「午前中は何してたの?」
「寝てたわよ。あのあとすぐ寝たわ」
「わたしも」
「結局二日も休んじゃったわね。あ、一昨日は最後の授業以外は受けたのか。じゃあ一日ちょっとね。家族の話題、終わったかしら。あの話が続くならもうあのクラスは絶対受けたくないわ」
「話題を変えてくれっていえば変えてくれると思うけど」
「あと少しなのにクラスをわざわざ替えるのもめんどうだものね」
TOEICテストが終われば母の機嫌は直ったのかもしれず、グループレッスンでセンシティブな話題が続く限り母の機嫌は直らないのかもしれない。母を見ているといずれにしても娘があれこれ気をまわしても無駄なんじゃないかとよく思う。しかし母は前世相当徳を積んだようで、子供らにやたらちやほやされて生きている。そしてたいしてありがたがりもしない。高級リゾートへ招待しても、どれほどの費用対効果があったか疑問である。感謝感激どころか説教ダメ出しを食らった可能性も高い。
「きれいな月だったわねえ。それにあの店員さん、何回も何回も来ておかしかったわ」
それでも思い出し笑いをする母を見ていると、わたしはまたいつか情にほだされて母に貢いでしまうんじゃないかと思う。マクタン高級リゾート予定がジプニーとランチと甘味処くらいで済んで勿怪の幸いというより他はない。