相変わらずでたらめ英語で中学生レベルの文法をぼちぼち英語で学んでいる。これは「疑問文って推理小説によく出てくるよね!」というのを絵に描いたものです。ちなみに講師のSARAはJ.D.ロブことノーラ・ロバーツのファンなんだってさ。
SARAは文法を教えるのがとても上手で、こういう先生に中学生時代出会いたかったと思わずにはいられない。しかしわたしは予習復習をしないので当然進捗は遅い。先日スピーキングを教わっているMARIに「基本的な文法と使えるフレーズをたくさん覚えて言いたいことがいえるようになりたい」と伝えたところ、「日本人はTOEICに強い。文法にも詳しい。でも会話になると話せない人はとても多いよ」とTOEIC高得点なのに英語が話せなかった人の話をしてくれた。
英語はわかるのに話せない
「TOEICはそれなりだけれど、英語は話せない」という人の話はこちらへ来てから自称他称を含めて何度も聞いた。*2これまでここでいう「話せない」とは「思うように話せない」「TOEICスコアに適うような正確な英語が話せない」の略で、求めるレベルが高いのだと思っていた。
しかし講師が出会った生徒は文字通り50分のレッスン中うつむき続けるしかない状態で何週間も経過するところまで落ち込んだ。仮にAさんとする。
Aさんは日本にいたとき既にTOEIC700点台をマークしており、留学後はさらに点数が上がった。文法や基本フレーズは問題ない。TOEICにはリスニングはもちろんスピーキングテストもある。紙の上の英語の読み書きしかできないわけではけしてない。しかし講師と雑談することができない。
Aさんは話がしたくないわけでもないし、話すことがないわけでもなかった。Aさんはすでに日取りが決定した海外赴任を前提に留学してきていた。赴任するにあたって企業が提示したTOEICレベルの最低ラインが700点台だったらしく、その課題は余裕のあるラインまでしっかりクリアした。しかし赴任先で会話ができないとなると仕事にならない。切実な状況だ。
講師がこれらの事情を理解しているということは、はじめのうちは自己紹介や状況説明で場が持ったのだと思う。しかしAさんは世間話も徐々におぼつかなくなり、講師と二人になるとほとんど会話ができなくなった。
フィリピン講師たちは多国籍の訛りを聞き取り、話の趣旨を理解する力が非常に優れている。またたぐいまれなる雑談盛り上げ力を持っている。なのでどんな話題にもついてきてくれるし、カタコト英語もでたらめ文法もうまく拾ってつぎつぎアタックチャンスを作ってくれる。ところがAさんの場合は皮肉なことに文法に強くなり、TOEICスコアが上がるほど会話力が日に日に落ちていった。
知識と経験値
世間的にどうかは知らないが、わたしから見たら日本人でTOEIC700点台を出すだけの英語力は会話するには十分な知識量だと思う。しかしAさんの周りには彼を上回るTOEICハイスコアゲッターがごろごろいた。
「自分はTOEICの点数が低い。会話力もない。もっと勉強が必要だ。彼はいつもそう言っていた。彼の話題はいつも心配事ばかりだった」とMARIはいう。あなたのスコアは十分だ。文法も正しい。聞き取りもできている。あとは話すだけだ、とMARIはAさんを励ました。しかしAさんは励ませば励ますほどうつむいて押し黙るようになり、やがてレッスンにきてもひたすらスマホアプリをやり続けるだけになってしまった。
「私は彼がいる時間ずっと自分のテキストを眺めている。彼はアプリをやり続けている。怖いくらい静かだった」とMARIはいう。これには楽観主義のフィリピン講師もまいってしまった。
「私は講師でしょう?それなのに座っているだけで彼に何もしてやることができない。いったいどうしたら彼の力になれるのか、すごく悩んだ。悩んで悩んで、レッスンの時間以外も一日中彼のことを考えるようになった。胃が悪くなるほどだった」
「彼は周りの友達を見て、自分にないものを求めてた。彼に不足していたのは知識や才能じゃなかった。彼は圧倒的に経験が不足していた。会話は経験しないと身につかない。赤ちゃんもそうでしょう、まず聞いて、覚えた言葉を使って話して、だんだん上手に話せるようになる。最初から上手に話せる人はいない」
経験を積むには話すしかない。話さないで経験値だけが上がるということはありえない。これは講師にはどうすることもできない。
「そんなことがあるのか」と驚いて話を聞いていたが、先日まさにTOEICハイスコア、さらにアメリカに学部留学、現地で仕事もしたけれど英語が話せなかったという方の話を読んだ。いったいどういうことなんだ。
そしてこの方もフィリピン留学によって英語で話せるようになったことを知った。フィリピン講師は気が長く、雑談引き出し力が高く、フィリピン留学はそのときが来るのを待つだけの経済的な余裕をくれるのだ。
会話の力
MARIはレッスン以外に時間を作ってAさんと話をした。自分とまわりを比べても仕方がない。あなたの経験はあなたのもの。生まれてすぐにうまく話せる人はいない。あなたの経験があなたの会話する力になる。
特別な話ではない。Aさん自身も何度となく自分に言い聞かせていたかもしれない。それでも自分で自分を引き上げる力がないとき、駆け引きなしに自分を思ってくれる相手からかけられる真摯な言葉は力になる。
「彼は話し終えてもやっぱり何もいわなかった。でも翌週、廊下ですれ違ったとき『先生』と挨拶してきたの」
MARIはいたずらっぽく目をくるっとまわして見せた。
「それから少しずつ話ができるようになった」
講師のMARIは目先の評価と関係なしに目の前の生徒に、目の前にいる人間に心を砕ける人だ。MARIはわたしから夫の話を聞いてブルーノマーズの「Count on me」という歌を教えてくれた。わたしは歌詞の意味を知って思わず泣いてしまった。泣いているわたしを見てMARIも泣いた。そして二人で笑った。Count on me というフレーズをわたしは生涯忘れないと思う。
同じことを上っ面で話しても同じ結果は出ない。何を言っているかだけでなく、どんな思いで誰がいったのか、そのときの空気や表情が言葉とともにどう届いたかが思いに刻み込まれること、これこそが会話の力、相手なしに体験し得ない力だと思う。
「会話には経験、経験、経験が大事なのよ。たくさん経験すること。日本には英会話の経験を積む機会が滅多にない。ここで学ぶべきなのは英会話の経験なのよ」
「じゃあこの雑談も勉強なのかな?」
「もちろん!あなたは話を聞いて語彙を増やしていくし、正しい語順を聞いて記憶していくでしょう?これは大切な勉強なのよ。赤ちゃんはそうやって言葉を覚えるじゃない」
「TOEICでハイスコアを獲得しても英語が話せない人」の話と並んで「フィリピン留学しても英語は話せるようにはならない」という話がある。わたしにそうしたリプライを飛ばしてきた人もいた。なんでわざわざ水を差すのか知らないが、これも日本人あるあるだ。
今回わたしの場合は夫ロスショックで一日寝て暮らす生活からは三食ご飯が食べらるための緊急避難留学だ。それで少しばかり体重も増えたらなおいい。英語が話せるようになるかどうかは二の次だと何度も書いた。それでも「留学したからには元を取らないと損だ」と気遣ってあれこれいってくださる方がいる。元を取るとはTOEICの点数が上がる。語彙が増えて流暢に会話ができるようになることだ。
もちろんそうなったらうれしいし小躍りもする。でも、経験値は支払った代金によって上がったり下がったりするものではない。また経験の値付けはどこに価値を置くかによって変わる。英語が通じなかったという経験で語彙を増やす人もいるし、英語が話せなかったという経験から雑談の威力をようやく理解できるようになる人もいる。
ちなみにこれだけ長く込み入った話をわたしがすらすら理解できるのは講師が聞き取りやすい速度で、語彙を厳選し、わたしの反応を見ながらわかりやすく話を組み立ててくれているからである。洋書にはレベルに合わせて単語数を制限している本があるが、あれを読むと「英語なんて簡単だ!」という気持ちになる。フィリピン講師はこれを生でやるのがとても上手い。
グループレッスンのとき、わたしは横で聞いていて母が英語で何を言っているのかさっぱりわからない。母もわたしが講師と何を話しているのかわからないらしい。しかし講師は双方の英語から趣旨をくみ取り、要点をまとめて説明してくれる。フィリピン講師はバレーボール選手のようだ。とにかく球を拾っていいところにあげてくれる。あとは打つだけ。どんな球でも拾うからまず打ってごらん。これが続いてゲームが楽しくなる。
フィリピン留学は英会話に自信がなく、英語で会話する楽しさ、面白さを経験したい人におすすめ。これは個人的ではありますが生身の体験に裏付けされた意見ですのでどうか参考にしてください。
*1:シリーズでたくさん出ていて面白そうなんだけど、これだけ日本語訳が充実してたら日本語訳にいくよね。