親元を離れて一人暮らしをはじめたとき職場の人から食器をもらった。
いかにも昭和の間に合わせ食器で、家で不要になったものをご母堂に聞いてもらってきたのだそうだ。好意はありがたかったが、ずっしりと重い紙袋に気が重くなった。わたしは自分の城を自分のお気に入りのものだけで埋め尽くす気でいたからだ。
わたしは子供時代から自分の部屋に強い思い入れがある。好きなものを望むように配置して、四方八方どこもかしこも居心地よく暮らしたい。
引っ越しするたび時間をかけて少しずつ家を手直ししながら居心地のよさを上げていく。世界で一番自宅が好きだった。
憧れの部屋の絵や写真を眺めるのも好きだった。部屋の様子が気に入って、繰り返し読む雑誌や絵本があった。手が届く値段のもの、手に入る機会があるものを使って、それらを自分の部屋にしていくのが好きだった。
わたしは片付いて掃除が行き届いた部屋が好きで、それが思うように出来ないのは食事が出来ないよりつらい。埃一つない部屋ではなく、よく手入れされ、大事にされている部屋がすきだった。
そうしてワンルームにダンボールの暮らしから、2DKにカラーボックスへ、いつかはリビングに職人の手掛けた家具がある住まいで暮らすことに憧れた。
壁一面の本棚。選りすぐりの食器が並ぶ美しい食器棚。座り心地のいい椅子とテーブルに作りなれた手料理が並ぶ。そういう暮らしをごく自然に人生の長期的な目標として無意識に考えていた。
でももういまは何もほしくない。
わたしの夢の家はわたしがこの世を去るとき住まいを訪れる人にとっては重荷でしかない。これらを眺めて泣いてくれる人、心のよすがにとっておきたいと思ってくれる人がわたしにはいない。
少しずつ大きくなる暮らし、少しずつ質がよくなる暮らしとは、家族がいて、幼い子供らを守り、その孫子に居場所を作るためのもの、その子らに遺すもの、託すものを増やしていく人生向けのように思う。
もう何もいらない。向かい合ってお茶を飲み、並んで手をつないで眠る人がいない家に何を持ち込みどうしようというのか。
いつかわたしは一人暮らし向けの人生を改めて考える日を迎えるかもしれない。初めて一人暮らしをはじめたときのように、お気に入りのものに囲まれて自分だけのお城を小さく作り上げることを楽しく思うかもしれない。
あるいはカール爺さんが妻と作り上げた思い出の家から乱暴に家具を投げ捨てたようなあの勇敢さによって、進むべき港めがけて力一杯人生の舵を切り直す幸運に恵まれるかもしれない。
そのとき「やっぱりもちおがいま近くにいてくれたらいいのにな」と思うわたしがまだ残っていたらいいなと思う。もちおが愛した誰よりかわいい妻が、遠い思い出ではなくちゃんとわたし自身であったらいいなと思う。
いまは部屋を片付けることも、空の冷蔵庫を埋めることも出来ないけれど。