朝日新聞2010年1月23日の「悩みのるつぼ」に「『スキ』のある女しかモテない?」という相談がある。
相談者は33歳女性。容姿は人並み以上で仕事もできるが恋人候補の男性があらわれても関係が深まらない。20代で別れた男性からは一様に「君はスキがない、なんとなくかわいくない」といわれた。
しかしスキとは何か。結局「セックスできそうだ」ということか。周囲を見るとそういう女性が結婚してもなおモテていて正直うらやましい。
「『スキがある』とはフェロモンですか?天性のものですか?スキがない女に恋愛は出来ませんか?」と相談者はたたみかける。
回答者として指名されたのは岡田斗志夫。岡田はこの回答のあと複数の女性を弄んだと告発され、世間を騒がせることになる。
この回答をはじめて読んだときは舌を巻いたが、いま思えば以下の回答には人心掌握歴と経験値の高さがうかがえる。
岡田の回答はまとめると以下のようなものだ。
1 見た目が標準以下の男性に積極的に話し掛ける。中身はいいのに見た目でモテない男性はいくらでもいるので映画や食事、酒に誘う
2 その結果先方からアプローチがあっても(絶対にあると岡田は保証)友達以上、恋人未満をキープ。そういう男性を3人以上つくる
3 1、2を繰り返しながら新規開拓を続け、より良い人があらわれたらチェンジする。これを一年続ける
対象外と考えていた男性との会話や食事は男性観や恋愛観を大きく育て、中身を見る目も磨かれる。周囲に素敵な男性が複数いて、つきあいたいと思われている。これが他人から見ればモテモテだということだと岡田はいう。
ただしきれいに付き合い、きれいに別れること。
・肉体関係は持たない
・デート費用は割り勘
・不倫しない
「周囲に『これが恋だ!という決め手が見つからなくて』とボヤくのも忘れずに」と岡田のケアは細かい。
要するに「微妙な関係の男友達を複数作れ、ただし借りは作るな、火遊びはするな」という話である。
「モテるとはなにか?『素敵な男性が次々言い寄ってくる状態』というのは大間違い。『男に自分を口説かせるように仕向ける行動の成果』がモテです」
やはりモテ農夫は豆なのだ。畑は耕してなんぼ、耕さずして実りをえられるのが豊かな地ではなく、耕し甲斐がある地こそ肥沃な大地なのである。
さて、セブ島へ留学して知ったのだけれど、わたしはとても知り合いたがりである。アスペルガー症候群の分類に積極的奇異型というのがあるが、うまいこと名付けたなと思った。
思い返せば小さい頃からこの調子で、よく知らない人についていったり、完全に赤の他人の家に上がり込んだりしていた。
一方、もちおは人とは時間をかけて少しずつ知り合う性格で、妻の知り合いたがりと招きたがりには閉口していた。
もちおは誰に対しても社交的で愛想がよかったが、実際には機知に富む発想と毒舌、そして迎合と妥協を拒む生き方こそが魅力だった。
もちおの情け容赦のない見解は本当に面白くて、言葉選びの秀逸さと間の取り方にはいつも圧倒された。しかし誰にでもやさしくけして人を否定しないという表向きの顔で結局生涯慕われ続けたもちおには、そのギャップを見せられる人がほとんどいなかった。
そんなわけで妻から友人、知人を紹介され、営業時間がのびると疲れてしまって不機嫌になった。面と向かって人付き合いをやめろとはいわなかったが、いつも二人でいたがり、そこに人をなるだけ入れないとなれば結果的に交友は減る。
(いまだからいうけど、妻が入り浸っていたはてなハイクのコミュニティーにもかなりのやきもちを焼いていた。)
こうして二人きりの離れ小島みたいな生活で、最後の三年間は文字通り四六時中一緒にいた。もちおはどんなに長くいても飽きない魅力を持っていたけれど、これでどちらかが先にいなくなったらどうなるだろうとずっと思っていた。そして恐れていたことが思ったよりずっと早く現実になった。
わたしはセブ島へ留学して、国籍や人種が違おうが、言葉が通じなかろうが、出会った人と手当たり次第に知り合いたがるという自分の性を思い出した。
それは今後の生存戦略としても正しい。
人に慕われる年寄りになりたいと思ってきたが、人に慕われるとは自分を慕ってくれる人が次々言い寄ってくる状態ではなく、自分に慕われることを快く思ってくれる、誘ったらうれしく思ってくれる、喜んで楽しい時間を、あるいは悲しみや怒りを、秘密や打ち明け話をともにしてくれる人がいることを指すのではなかろうか。
これからわたしが目指す、人に恵まれた人生とはこれだ。
どうしたら実現できるか。ここで岡田斗志夫式モテ戦略ですよ。
というわけで、ここ数ヶ月ではてな界隈の人たちをお誘いして、各地でお茶を飲んだり空港を見学したり怖い話をしたり通話をしたり二段ベッドの上下に泊まって上段から落としたスマホを拾ってもらったりしていた。
メンバーは男女混合で既婚者もいる。奢ることもあるし、奢られたこともあった。さらに年齢層を上下に広げ、経歴も様々に、国際色豊かに、モテモテ状態を目指していきたい。
「はてこさん、どうしてるかな。話したいな、会いたいな」といつもいつも思ってくれていたもちおはわたしにとって島のようなものだった。心の拠り所だった島が沈んでしまった。
でも、ときどきそんな風に思ってくれる人たちはまだいる。スターをくれたり、お便りをくれたり、贈り物をくれたりもする。そういう人たちは潮が引くと姿を見せる浅瀬の島のようだ。いつもは見えなくて、満潮には拠って立つところがない。でも島はある。
これからもっと増えるかもしれない。
「はてことなんか遊ぶなら、おまえとはもう遊ばない!」といわれる人もいるかと思うので、誰とどこで遊んだかは内緒ね。