免疫向上という視点から見るとポジティブ思考はネガティブ思考と同じくらい危険をはらんでいるので、現実的思考がベストだという話を読んで目から鱗が落ちたので、今日はそのことを書きます。すごく役立つよ!
過大評価されがちな「ポジティブ思考」
考え方は免疫に大きく影響するという。確かにそうだと思う。しかし「だからネガティブに考えるのはよくない、ポジティブ思考がたいせつだ」という話になると少し違うと思う。
世の中にはポジティブはいいもの、ネガティブは悪いものと思ってる人がいる。しかし陰陽五行などでも陰は悪、陽は善というものではない。わたしは以前からポジティブ思考というのは取扱い注意であまり信用できないしろものだと思っている。根拠のないポジティブ思考は現実否認と不安の裏返しである場合があると緩和ケア専門医のガボール・マテが「身体が「ノー」と言うとき」に書いていた。確かにそういうケースはよくある。*1むしろ大切なのは「ネガティブ」な出来事も含め、現実をありのままに認めることだとマテ博士はいう。
一方で最初に書いたように「悲観的に考える人は免疫が落ちる」「がんとうつを併発すると免疫低下が著しい」というのもまた真実だ。*2じゃあどうすればいいの。明るく考えても暗く考えてもダメ。要はふつうが、ニュートラルであることがいちばんということだ。
「思考は現実化する」が脅威になるとき
平時ならこういう話題は思考実験だけれど、切羽詰まった極限状態に立たされると自分が何を考えるかでいちいちおろおろせずにいられない。「人の思考は現実に影響する」という言葉が異常に真実味を帯びて聞こえるからだ。
漫画「コブラ」の信じる者だけが見える山という話をよく思い出した。疑ったとたんに山は消え、登山者は死に見舞われる。コブラは最後まで山の存在を疑わず、登頂を達成する。登頂には遭難中のレディがいたのだった。もちおの回復という山をわたしは信じきれるだろうか。
「ぜったいによくなるから。ね。大丈夫。ぜったいによくなる」といった人がいた。信じたいけれど信じられる根拠がない。医学的な見解は非常に暗い。医者の顔も暗い。病室の空気も重く、もちおの身体だけがどんどん軽くなる。
「よくなってほしい」から「よくなるに違いない」と「信じる」?
それは現実を否認して偽りの希望で自分を扇動するということじゃないのか。
でも、わたしがそう信じられなかったら物事は悪くなるのだろうか。 わたしが信じられなかったらもちおの命が危険にさらされるのだろうか。
だけど少しでも「よくなるかも」って思っちゃったら、そうならなかったときにまたうんとつらい思いをするのが怖い。
一方で「覚悟を決めて残された時間を大切に」という人もいた。これは
「現実をありのままに見つめる」考え方だろうか。不確定な未来を断定するという点ではこれもまた現実的だと思えなかった。
諦観をすすめる考え方の背後には絶望しておけばそれ以上落胆することもないという考え方がある。来るべき悲劇に備えて予防線を張ることは何ら現状に希望を持つ助けにはならない。
ああ、でも。わたしが「万が一に備えなければ」と思った回数だけ、その時間分だけ、悲劇的な未来が現実化するように運命が動くのだったらどうしよう!
こうして「よくなる」と思っても、「万が一を覚悟して」と思っても恐怖を感じた。一瞬ごとに見えない世界と取引をしているようで、敷石の縁を踏まずに歩こうとする子供のように強迫観念は強まるばかりだった。
ポジティブでもネガティブでもない「現実的な見方」
「前門の虎、後門の狼」ともいうべきこの問題の解決策をこの本で知った。
著者は精神腫瘍科の医師である保坂隆先生。精神腫瘍科はがん患者を専門に扱う精神科。「がんを告知されたら読む本」にもあったけれど、がんの恐ろしさはある意味身体的な苦痛以上に「苦痛に満ちた死」というイメージによって精神をさいなまれることにある。闘病中の人の多くは程度の差はあれうつ状態に陥りやすい。腫瘍精神科医はそのような状態にある人がバランスのとれた見方を取り戻すのを助ける。
一般的な精神科の治療は抗うつ剤など向精神薬の処方が中心だ。でも腫瘍精神科を訪れる人の多くは化学療法などですでに薬物による治療を受けている。そのためこれ以上薬物を摂取したくない、複数の薬による副作用を受けたくないという人が少なくない。よって治療は認知行動療法や運動指導などカウンセリング中心になる。*3
さて、治癒が難しく、生存率の低い病気にかかった場合の現実的な見方とはどういうものか。
ポジティブ思考 治癒が難しく、生存率は低いが絶対に治る
ネガティブ思考 治癒が難しく、生存率の低いから絶対に治らない
現実的思考 治癒が難しく、生存率の低いが治らないとは限らない
おわかりいただけただろうか。もちろんこれは「治るとは限らない」でもある。けれども「治らないとは限らない」のだ。治らないとは限らないのだから、出来ることはある。やれることをやるだけの価値はある。これが現実的思考。
平時には「なーんだ」と思うかもしれない。けれども刃物の上を素足で歩くような緊張感に支配されているときに「治る」でも「治らない」でもなく「治らないとは限らない」という現実的で異論の出しようのないこの考え方の強さと安定感は絶大だ。悪魔とも天使とも取引しないですむ。「よくなるかもしれない!ああ、でも期待するのが怖い」「よくならないとは限らないんだからよくなるかもしれないと信じるのは現実的だよね」「万が一のことが起きるかもしれない」「でも起きないかもしれないんだからそっちの可能性も考えていいよね」そしてその少しの余裕が目の前の現実的な手立てに着手する力になる。
絶対的な効果が保障されている薬、治療法、健康法はない。それは仕事でも人間関係でも投資でも天災でもそうだ。未来は不透明で人生は不確かだ。でも「よくならないとはかぎらない」のだ。よくなるかもしれないことがあるなら取り組む甲斐がある。生きている間は何かしらできることがある。この考え方はいろいろなところで役立つ。