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Channel: はてこはときどき外に出る
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マイノリティの代弁者

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 反差別=マイノリティの代弁者と思い込んでいる人のことを書いた。こういう人はしばしば特定の問題を批判する意見に対して「おまえの意見は当事者の意見を反映していない、おまえの行為は自己満足だ」と文句をいう。

 

実際には「勝手に当事者の意見を代弁するな」といってくるのは大抵自分も部外者である人間なのだけれど、「自分は部外者であるからこそ沈黙を守ることでマイノリティを尊重しておるのだ」とヘイトの野放しを正当化する。

 

 「差別やヘイトに対しては部外者ではなくマイノリティ自身が中心となって発言すべきだ」という意見は一聞に値するように見えるが、マジョリティの蹂躙を受けているマイノリティに「おまえが立ち上がったら聞いてやってもいい、周りは加勢するな」というのは圧倒的に不利な立場からマジョリティを説得しろという無茶苦茶な話だということは少し考えればわかる。

 

 また事者の属性を持つ人が「おまえの意見は当事者である自分の意見を反映してないからマイノリティの意見を代弁したものとはいえない」といってくることもある。

 

「私は女だけどこれが女性差別だと思わない」「自分は○○民族だけどこの政策は差別ではないと思う」という具合だ。

 

 これも一考の余地がありそうに見えるが、属性を共有する者同士で意見がすべて一致することなどありえないのは当然だ。「自分という例外がある以上おまえの意見は完全ではない」とは何も言っていないも同然である。

 

そもそも人権を尊重するとはマイノリティの意見を代弁することでも、マイノリティを保護することではない。

 

「女はみんな死ね」と思う女性の存在をもって女性の殺害をよしとすることはできないし、自国の破滅を歓迎する国民の存在はその国を蹂躙することを正当化することはできない。

 


 あらゆる人権問題は究極的には弱者の救済と保護を目的とするものではなく、すべての人の人権を回復させることにある。

 

 

前述の話とよく似た勘違いで反差別=博愛主義者だと思っている人がいて、「博愛主義者を名乗るならこれも愛せ、あれを否定するな、出来ないならおまえの言動は矛盾している」と決定的な証拠を見つけたコナン君のようにいってくることがある。

 

 

 わたしは差別に反対しているのであって、「マイノリティの味方」でもないし、「博愛主義者」でもない。*1

 

 

当たり前のことだけれど、人として味方になれるかどうか個人的に気が合うかどうかによるのであって、何らかの点でマイノリティである、弱者であることをもって自動的に味方になるわけではない。

 

 

個人的な愛情はもっぱらもちおにそそぐので他の人を同じように愛することはできないし、そうする気もない。「マジョリティの味方」でもなければ「偏愛主義者」であるわけでもないのと同じだ。

 

 

 差別に反対するのは自分も含めたあらゆる人の人権が尊重される社会を求めているからであって、猫好きが猫を求めるように(あるいは自分を救済者として崇める家出少女を探し求めるように)条件に合致するマイノリティを無差別に保護し、救済することを求めているわけではない。

 

 

 実際そのような態度で自分を保護し、救済しようとする人物をありがたく思うのは病床と貧苦に喘いでいるときくらいで、たいていの人は個人的な繋がりのある親密な相手以外には干渉されず放っておいてほしいと思うはずだ。しかし差別は個人が静かに暮らすことをゆるさない。

 

 

 マジョリティの抑圧はマイノリティが意に沿わない意見には反対し、ムカつく相手に罵詈雑言を吐き、抵抗し、自分の力で立ち上がり、自由に生きることを阻害する。

 

 

こうした状況にわたしはわたし個人の信念と信条をもって反対する。正当な対価を払ってすきな場所に住み、すきな仕事をして、すきに暮らす自由を侵害する社会に抵抗する。修道女のように行儀よく上品まじめに生きるためではない。

 

 

 いうまでもなく、人権が尊重される社会とはすべての人が理想の伴侶に無条件に熱愛され、自由自在に理想の仕事に就いて思う存分贅沢ができ、一生涯の安全が保障される社会ではない。

 

 

ただ好きな人から選ばれず、好きな仕事で才能が認められず、好きな場所に住めない理由が個人の生き方や性格のせいではなく、人種や性別や宗教、社会的背景によるものであるなら、それは是正されるべきだ。

 

 

平等な社会をめざそうと主張するために資格はいらない。マイノリティである必要もないし、マイノリティの代弁者である必要もない。ましてマイノリティの代表者として認められる必要もない。平等な社会を必要としている人なら誰でも、いつでもどこでもそのことに意見する権利がある。

*1:「反差別というなら弱者に寄り添い、弱者を救おうとしているのでしょう。なぜ弱者の味方になろうとするのですか」と戦う聖母みたいにいわれて鳥肌が立った。人だから人が踏まれていると腹が立つって話だわ。


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