まだレアジョブ会長の「差別を許容したい」発言について考えている。
あの人、具体的な場面がぜんぜん頭にないんじゃなかろうか。「差別は許容するが寛容ではない、加害は認めない」とか書いていたけれど、世の中の差別行為の大半は加害かどうかはっきりわかるものばかりではない。
「あ、あいつLGBTだぜ!椅子に画鋲おいておけよ」「やーい、LGBTっ子!」
といった、浦島太郎も楽に介入できそうなわかりやすい加害ばかりではない。
差別によるベネフィット
差別するリスクを自覚して差別するべきだと書いていたけれど、差別が当人にとっても所属する組織にとってもメリットを産むことはよくある。キリスト教徒の多い国では「断固同性愛を認めない」と高らかに宣言することは政治的に大きなベネフィットがある。「わが党はあなたの娘、息子を麻薬や犯罪、同性愛から守ります」。これは大きな宣伝になる。
身近なところにも差別で人気者になる機会はたくさんある。
恋愛工学、アスペ的な特質を逆手に取って、相手の気持ちは考えず、数打って断れなさそうな女の子を見つけたら無理やりSEXしましょうという話で、必勝法でも何でもないから、準強姦で訴えられないよう気をつけてくださいねしかコメントしようがない。
— M (@M_znu) 2015, 9月 22
この人は「相手の気持ちは考えず、数打って断れなさそうな女の子を見つけたら無理やりSEXしましょうと」「準強姦で訴えられないよう気をつけなければならない」輩を侮蔑するのにアスペルガー症候群を引き合いに出し、いっしょくたにしている。最低な奴=アスペ的である。96回リツイートされて、149回ファボられている。悪口は盛り上がる。
よく知らない属性を浅はかな知識でわかったような気になって上からいろいろいうのは楽しい。要するに偏見をもった人間同士の話は非常に盛り上がる。
彼は最初侮蔑的な偏見を指摘されて反射的に謝ったが、それを翻した。そしてなんだかごちゃごちゃ意味のわからないことをいいはじめ、逆切れして会話をシャットダウンした。
@M_znuこれ消したのなんでなん? pic.twitter.com/0E5LdVHXT3
— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2015, 10月 7
@kutabirehateko自分のツイートをよく読んだら、アスペを「逆手にとって」と記載してあり、アスペの特質そのものを恋愛工学とイコールにしたわけでなく、安易に謝罪するとかえって誤解を招くと判断したためです。
— M (@M_znu) 2015, 10月 7
@kutabirehatekoだから「逆手に取って 」と書いてますよね。でもそれは最初に説明してるから、要するに貴方は僕に謝ってほしいわけですよね。それは簡単なんだけど、僕は精査の結果、問題はなかったと判断している。そう思っている人に、口だけで謝ってもらって満足ですか?
— M (@M_znu) 2015, 10月 7
無神経の代名詞として準強姦で訴えられかねない集団と紐付けておいてこの言い草。俺らの楽しい悪口に水をさされた人は憤る。こういった無知に基づいた侮蔑的なレッテル貼りは非常に多い。レアジョブだったら彼の言い分も個人の思想として許容すべきところなのだろうか。
差別する側の認識
先のTweetも「精査の結果、問題はない」と書いているけれど、差別する側は自分の認識を疑ってはいない。*1自分の偏見こそ世界の真理だと信じて「黒人は人間ではない」「女に学問は不可能だ」と考える人たちがマジョリティだった社会がある。人間じゃないから人として扱わないのは当然だし、不可能だから機会を与えないのは当然だと考える。こういう人たちの加害性をどうやって見極め、扱うつもりなのだろう。
こうした偏見をもった人が重要なポストや給与に関して「彼は、彼女は○○だから適任とはいえない」と判断するとき、その人は自分の差別心や偏見をどの程度自覚するだろう。自分は悪意などなく、冷静で現実的な判断をする人間だと思うことの方が多いんじゃないだろうか。
差別の許容は多様性を生み出さない
こういう偏見と無知と悪意、あるいは無神経にもとづいて特定の言葉が使われる場所では、その属性を持つ人たちは息を潜めて暮らすことになる。目の前で差別的な話が盛り上がるとき、自分がその属性だということは二重の意味で苦しい。ひとつは場を白けさせるということ、もうひとつは今後は影で自分が叩かれるようになるだろうということ。さらにいうなら表立って何をされてもおかしくないということだ。
これを個人の思想として許容すべきというのは、「黒人は人間ではないから白人に仕える機会をえられて幸せだ」という思想を許容することがどういう結果になったかを考えてみたらいいと思う。
LGBTであれ、アスペルガー症候群、あるいはその他の発達障害であれ、また難民であること、移民であること、童貞、非モテ、男だ、女だということが人を中傷する言葉として上げられる社会は言論の自由を持つ豊かな社会ではない。それは声の大きいものの暴力を受けないために息を殺して自分を隠せと子供たちに教える社会だ。そんな社会で多様性や国際性が豊かになるわけがない。まじめな話、加藤智久さんはその辺どう考えているのか。
やはり「ふーん」ではすまないことだと思うよ。
追記:さまざまな企業の人権指針をまとめたエントリー。参考になります。