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はてこは九州男児を叩いてるとか憎んでいるとか軽んじているとかいってる人をあちこちで見た。彼らを追い詰めているのはむしろそっちの方なんじゃないかと思う人が何人かいた。
白金に生まれ育ったら誰でもシロガネーゼになれるわけではないように、九州に生まれ育ったら誰でも九州男児になれるわけではない。しかし白金に奥様文化があるように、九州という土地には男尊女卑、亭主関白の色濃い文化が確かにある。それを否定するのは現実否認だ。ただこうした男尊女卑文化は濃さの違いこそあれ全国、全世界にある。そしてそれで苦しんでいるのは女性だけではない。
わたしが「九州男児やばい」と思うときに思い出すのは母の友人Uさんとその旦那さんDさん。
Uさんは口八丁、手八丁、言葉はキツイがハートは熱く、面倒見もよければ恰幅もいいというやり手のおばちゃん。地域になじめなかった母を保護者会の席で吊るし上げ、びびらせてからぐっと距離を縮めて一気に親しくなり、離婚後も実の親以上に母の面倒を見た。暑苦しいほどの面倒見のよさと情の篤さがまさに典型的な福岡の女だ。
わたしは故郷を離れてからUさんとお会いする機会がなかったけれど、結婚後に帰郷したさい、夫とご挨拶へうかがったことがあった。
Uさんの夫婦論
「あらー!あんたかわらんねえ。さ、あがって、あがって!お土産?いーがー!そんなん気にせんで!まー!うれしい。はい、そこ座り。いまお茶を淹れるきね」
茶の間に案内され、すすめられるままに座っていると戻ってきたUさん一喝。
「あんた!なんね、旦那様がおるとに上座に座ってから!」
えー。茶の間はテレビと箪笥があるふつうの和室で、床の間があるような部屋ではなかった。部屋に入ったのがわたしの方が先だったので、わたしは奥に座っていた。Uさんはそれが気に入らなかった。招かれた身なので大人しく立って席を替わる。
Uさんは気を取り直して夫にいった。
「この子はこんなんあるきね、ちょっと変わっとうんよ。でもお腹の中にはなんっもないと。意地の悪いことやら考えちょらんきね」*1
Uさんは不出来な娘を頼む親戚のような暖かい口調でいった。それから続けて「旦那さんは博打はせんと?*2」と聞いた。
「しません」
「そうね!それならよかった。博打せんかったら酒と女遊びくらいはいいたい。博打はいけん。家がめちゃくちゃになるきね*3」
Uさんは裕福だったご実家が博打好きな親族のせいでたいへんなことになった話を神妙な調子で話してくれた。わたしは(酒と女遊びも家をめちゃくちゃにするけどな)と思いながら大人しくうなづいていた。
それからUさんは大好きな旦那様、Dさんの話をはじめた。
UさんのDさん自慢
「うちの旦那さんも博打はせんかった。あの人は仕事ひとすじよ。真面目やったき。面白いことはいうよ?でも何しろ仕事がすごかったもんね*4」
Uさんは夫婦で事業を営んでおり、一時期は従業員もかなりの数だった。Dさんは地域の顔役でもあり、役所関係の人間に働きかけて地元の公共事業を推し進めたりもしていたそうだ。どこそこの幹線道路、どこそこのトンネル。あれもみんなあの人がやらせたんよ。愛するDさんの話をするUさんのまなじりは下がり、鼻の穴がどんどん膨らんでいく。
Dさんは従業員への見せしめにUさんを大声で怒鳴りつけることもあったという。
「仕事しよったら私が悪くなかっても『U子!』っち叱り飛ばされよったもん。たいへんよ。大声で怒鳴られてから、ずーっと説教されるんよ*5」
「えー。悪くないのに?」
「そうよ。それはあの人の方針たい。従業員に直接いったら気にするやろ?やき私を叱ると」*6
「嫌な気持ちになりませんでしたか」
「それは、なしそういうか、わかっちょうきね。それでもちょっと腹の虫が悪かったらぷーっとするときもあるんよ。そしたら夜になってから正座させられるんばい*7」
えー。
「正座させられて、『U子、今日の態度だけど、あれはどういうこと?』っちいわれるんよ。叩いたりはせんよ。でも謝ってもダメなんよ。『どういうことって聞いてるんだよ』っちいわれてから、泣くまで聞かれるばい*8」
えー。
「それで子供たちが起きてきてね、『お父さん、お母さんをゆるしてやって』っちもうみんな泣いて泣いて。それで私が『もうあんたたち寝なさい』っち子供たちを部屋へ戻して、夜中までそんなんよ」*9
それで翌朝はまた早く起きる。Dさんは期末試験や受験時期も定期的に訪れる繁忙期には子供たちに仕事場で手伝いをさせた。これも従業員への教育の一貫らしかった。
「でも、おかあさんやりすぎよ。毎朝おとうさんの靴下はかせてやりよったやろ。あんなんする人、おらんばい*10」
横から娘さんがいった。Uさんはちょっと照れくさそうによそ見をして聞こえないふりをしていた。
これはモラハラ旦那の愚痴でも、嫁としての苦労話でもない。頼もしい自慢の旦那さまについてのノロケなのである。
子供のころ、子供同士で親について話すとき
「うちのお母さんは本気で怒ったらめちゃくちゃ怖いよ!」
と互いに自慢しあったものだった。あれに似ている。うちの旦那さんはめちゃくちゃ厳しい。どうだ、立派だろう。
わたしがこの話を聞いたとき、Dさんはもういなかった。Dさんは仕事が暗礁に乗り上げたとき、精神を病んで家族が目を離したすきに世を去ったのだ。
”男らしさ”の呪い
Dさんはあるとき仕事に失敗して、ふつうのサラリーマンではとうてい返せないような借金を背負った。Dさんはそのことでかなり参ってしまい、すっかり気弱になった。やがて何を話しても暗いことしか考えられなくなり、精神病院へ入院した。
借金の額に圧倒されたのかというと、そういうわけでもなかった。よそさまのことだから詳しいことは知らないけれど、Dさんは高齢で富裕なお父様と同居しており、一人息子だった。ちょっとやそっとで家が傾く心配はなかったらしい。
それにやり手のUさんはピンチで燃える女性だった。「ここを乗りきらな先がないけんね、子供はもうみんな手を離れちょう。私もこれからは仕事一筋よ」Uさんは豊富な人脈と度胸をフルに活かして飛び込み営業をかけ、これまでなかったような大きな仕事をとってきた。
Uさんのがんばりはどれもこれもみんな愛する夫と家族を守るためだった。しかしUさんの勢いと反比例して、Dさんはどんどん弱っていった。そしてある日、自殺未遂をおこした。
「Uさん、怒ってご主人を怒鳴りつけたそうよ。『あんたがおらんやったら私はどうやって生きていったらいいと!』って」と母から聞いた。これはUさん流の愛の告白だった。亭主関白文化のなかでは「仕事のことは心配しないで私にまかせて、一人で背負い込まないで」は男に対する侮辱なのだ。実質がどうあれ、「あなたが家を背負うことを期待している」と伝えるのが筋なのだ。
しかしDさんは退院後も仕事場でぼんやり所在無くすごすようになり、家族がほんの数分目を離したすきに仕事場の一角で世を去った。Uさんはどこにどう手を回したのか、病気か事故かで届けを出した。あとには莫大な保険金とD家の遺産が残った。
男の体面と中高年男性の自殺率の高さ
日本の自殺者に中年男性が占める割合が多いという。わたしはかつてのDさんの頼もしさ、男らしさをノロケるUさんを見て、中高年男性が背負う荷の重さをはじめて理解できた気がした。
Dさんが病気を抱えていたことは間違いない。けれどもDさんが抱えていたであろう「早く治って家族を養わなければ」という気負いは「男らしさ」に煽られていたことだろうと思う。「精神病は甘え」「気が弱いやつが精神病になる、気力の問題」という思想のなかで暮らしていたら、そもそも精神の病で入院したことそのものを恥だと思っていたかもしれない。
「九州男児」だけではない。「男は女よりすぐれた存在でなければならない」「女子供を養って一人前」「女は仕事に口を出すな」などなど、一見女性を虐げる呪いのようなこれらの文化は、「男らしく」生きられなくなった男性を追い詰める。
働けないこと、稼げないこと、自分ひとりの手に負えないような大きなミスをすること。こういうことは誰の人生にも起こりえる。けれどもこういった事態が男尊女卑文化の頂点に君臨するはずの男性に及ぼす影響は、ある意味でそこから外れた人々が受けるダメージより深刻だ。
昔は酒に強く、喧嘩が強ければ、稼ぎが少なかろうが、学がなかろうが、仕事がぱっとしなかろうが、「それでも男か」といわれることはなかった。逆にいえばいい学校を出ていい仕事に就いて稼いでいても、酒に弱く腕力がなければ軽んじられることもあった。
酒と喧嘩が禁じ手になり、失業率がこれだけ上がり、共働きで家事育児の分担が叫ばれる現在、かつての「男らしさ」を男性に求めるのは酷なことだとわたしは思う。いったいその基準にかなう男性がどれほどいるだろう。
「男性はデリケートでプライドが高い」「だから女性は男性を傷つけないよう配慮すべきだ」という人がいる。裏を返せば「男はすぐれている、すばらしい、そうでなければ男じゃない」という男社会思想は自尊心が弱く、精神的に脆いところを抱えた人間を大勢作り出すものだということだと思う。
「男だったらこうなるはず、そうならないのは男として失敗なんじゃないか」という考え方は当人だけでなく親兄弟も悩ませる。それが「嫁がうちのお殿様を傷つける、どげんかせんといかん」という舅姑の不安に繋がるのだと思う。どげんかせんといかんのは、男子かくあるべしの思想のほうだとわたしはおもう。
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