Quantcast
Channel: はてこはときどき外に出る
Viewing all 359 articles
Browse latest View live

「あなたについていく」は現代も美談になりえるか

$
0
0

かつて感動した両親の話を再考して、ちょっと考え直した話。

 

鬼怒川で氾濫がおきたとき、一軒だけ流れなかった家が多くの人を救って話題になった。父はある大災害のときに倒壊しなかった家に感動し、その工法を仕事に取り入れる決心をした。そしてモデルハウスも兼ねて、まずその工法で自宅を建てた。

 

いくらか知らないけれど、かなりのお金がかかったらしい。なんでも勝手に決めてしまう父もさすがにこのときは妻に話す気になったらしく、後だしではあったけれど三人目の妻であるわたしの継母にこう言った。

「この仕事が失敗したら、会社も家も土地もぜんぶとられる。ぜんぶなくなる。おまえ、それでもいいか」

 

「だからあたしね、『それでもあたしひとりくらいは食べさせてくれるんでしょ?』っていったの。そしたらあの人、『ああ、そりゃおまえひとりくらいは食わせていくよ』っていうから、『じゃあいいわ。やりましょう』っていったの。『ダメだったら屋台でも引いていきましょうよ』っていったのよ」

 

継母はやり手だ。両親が焼け野原に開き、ビルにまでした店を受け継いで切り盛りし、見事バブルで売り抜いた、それが父の三人目の妻である。

 

しかし継母は父が一世一代の博打を打って新規事業をはじめるといったとき、自分の経済力と経営手腕をおくびにも出さず、夫のあとについていくという姿勢を見せた。女は男を立てるもの。男の顔を潰してはいけない。継母のこうした昔かたぎの「女らしさ」は父の気持ちを引き立て、大いに励ましてきた。

 

わたしだったら「そのときはわたしも働く、心配しないで」といってしまうな、と思った。実母だったら「そのときは私があなたを養うわ」といいそうだ。でもそれでは父のプライドが傷つく。父は自分が養ってやらなければならないか弱い女子供を守る強い男でありたいと思っているからだ。

 

たとえ望むほど強くなくても、「あなたも弱いところのあるふつうの人ね」なんていってはダメ。いわなくても態度に出したらいっているのと同じ。夫が外でどういわれようと、妻だけはあなたは世界一強くてたくましい人、世の中を知っている頼もしい人だといってもらいたい。妻のヒーローでいることで夫は元気を取り戻すのだ。大丈夫、あなたならできるわ。そう信じてもらいたいのだ。

 

わたしは当時この話をとても美しく感動的なものだと思った。

 

実母からダメ人間の見本のようにいわれていた父が、継母から愛され、敬われているのを見るのは悪くなかった。継母はすごい。わたしもまだ見ぬ未来の夫をこんな風に信じてついていける妻になって、夫婦仲良く暮らせたらいいな。当時わたしはそんな風に思った。

 

幻想の共有

父は男らしさに恵まれていた。父の世代が提示する理想の男らしさを満たす条件を、父はいくつも持っていた。肉体的にも経済的にもそうだったし、「クレイマークレイマー」が一世を風靡し、「嫁に逃げられる」がマイナス要因になる時代をすぎてから離婚したこともそうだった。女にもモテた。子供にも恵まれた。

 

脳梗塞で半身不随になったときはちょっとやばかった。肉体的な強さは父の「男らしさ」の際立った点だったからだ。しかし父は舌を自力で動かせなくなり、話も食事もひとりでできなくなったときも、病人扱いを断固拒否して「男らしく」あろうとした。手を出すな。父は身振りで妻を制してリハビリに打ち込んだ。そして驚異的な回復を見せた。

 

継母はそんな父を全面的に支えた。「かっこつけなのよね、あの人」「でもあの人のそういうところ、あたしほんとに尊敬する」。

 

いい話である。父がきついリハビリに立ち向かい、孤軍奮闘したことをわたしも立派だと思う。しかし、もし父があのとき「男らしさ」を損なうような障害を負っていたらどうなっただろうとも考える。

 

「男らしさ」が至上命題の文化ではそういう場合、周囲の努力によって幻想を共有することになる。つまり男性が引き続き強くあるために、女性は男性より頭が悪く、社会的な地位が低く、力も弱くて意気地もないというポジションに積極的におさまることが要求されるのだ。

 

上げて下げてのバランス調整

むかし家族でキャンプにでかけることがあった。母と釜戸を作り、火を起こす。うれしくなって父を呼ぶ。父は不機嫌だ。父は「どうやって火をつけるの?」と聞かれながら、あれもこれも教えてやりたいと思っていたのだ。

 

「おまえはよく本を読んでいるくせにそんなことも知らないのか」とよく言われた。答えられない質問をするのは父の顔をつぶすからダメなのだ。中学生くらいのとき「大人になったら車の免許をとりたいな」と何気なく話して張り倒されたこともあった。女が免許をとりたがるなんて生意気なのである。

 

この話をしたとき継母は得意げにいった。「私は車なんて運転したくない。『免許なんてとらなくていい。俺が迎えにいくんだからいらないだろ』っていつもみんなにいわれたわ」。

自分で運転しなければならないということは、運転してくれる男がいないということ、あるいはタクシー代を出してくれる男がいないということで、女としては恥なのである。

 

 これらの幻想を積極的に共有し、役割を担おうとするのが男らしさ、女らしさの正体だろうとわたしは思う。*1これが上手く噛みあって、なおかつ現実と調和していれば生産性が上がる。しかしこの役割分担は性別でわけなければ成り立たないものではないとわたしは思う。

 

夢の綻び

「男に恥をかかせない」ことが至上命題になると、女性はできないことを増やさなければならない。これが「あなたに食べさせてもらうからね」である。しかし実際にこういう配慮ができるのは能力の高い女性だ。いざとなったら自分でなんとかできる強さがなければ男性に全面的に頼っていては共倒れになる。

 

男性を守る強さがあり、面子をつぶさない賢さがあり、それを覆い隠す愛嬌がある。男社会の男らしさを守るために女性には多大の負担がかかっている。肉体的には弱くてあどけなく、情緒面では母性的という理想像は”ばぶみ”に象徴されていると思う。もはや実現不可能だ。*2

anond.hatelabo.jp

 

一方、「男らしさ」の幻想を共有し、男は立派だと支持してくれる昔かたぎの「女らしさ」をもった継母のような女性たちは、女性を上回る顕著な強さと経済力を男性に求める。「ルールズ」に代表されるような、あるいは井内由佳が指南するようなモテテクニックは強い男についていく古風な女像を強調する。彼女らがターゲットにせよと指導するのは男社会の頂点に立つ男性である。

 

「強い男に女はついてくる」は恋愛工学のdisりにも見られる。女を軽く扱え、一人の女に集中するな。こんな古風な男らしさの残滓が男性を席巻するのも「男らしくなければ人としてダメ」という強迫観念の影響だろうと思う。しかし古風な「男らしさ」を評価する古風で「女らしい」女性に、あるいはその家族に評価されるには、経済力と社会的地位が必要だ。

 

女性に優美さ、家事能力、受容的な態度など「女らしさ」を求めながら、従来「男の仕事」とされてきた経済力や力仕事、地域との関わりなどは免除してもらい、同時に「男らしい」男だけが得ていた賞賛を得ることはできない。

 

また男性に女性を上回るたくましさ、経済力、決断力など「男らしさ」を求めながら、同時に家事育児親戚づきあいなども分担し、なおかつ仕事一筋で家庭を顧みない男性と同じだけの成果と評価を得ることを期待するのは現実的ではない。

 

わたしはいまも「あなたに食べさせてもらうからね」という両親のエピソードがすきだ。頼られることがモチベーションになる人はいるからね。でもこれからは、それが男女別になっても成り立つ世界、同性夫婦の間でも「いい話」と共感される世界だったらいいなと思うよ。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:「できないからしてあげる」は男から女へばかりではなく、「男は家事ができない、育児もできない。だから女がしてあげる」という逆パターンもある。

*2:娘にそれを求めて満たされている人はいるけれど、これは娘側にとって深刻なダメージになりえる。


「妻が勝手に夫のものを捨てる話」と日本むかし話

$
0
0

ネットで愛されるフォークロアに「日本むかし話」のような型と主題をみた話。

 

子供のころ、「日本むかし話」を録音したカセットテープを親がどこからかもらってきて、兄弟姉妹でテープレコーダーを囲んでは繰り返し聞いた。怖い話もいくつかあって、あまり怖いと兄が上からおかしなつっこみをいれて怖さを紛らわせたりしていた。わたしが怖かった話に「大歳の火」という話がある。検索すると出てくるけれど、うろ覚えで書く。

 

大歳の火

むかしむかしあるところに嫁いだばかりの若い嫁を迎えた家族があった。

この家には囲炉裏があり、火の始末は嫁の仕事だった。

 

一日が終わると嫁は火のついた炭に灰をかぶせる。

灰をかぶった炭は火の勢いを弱め、朝まで静かに燃え続ける。

火を消してしまってはいけない。これを火種に翌朝の仕事がはじまる。

 

火種は一年中絶やしてはいけない。

「けっして絶やしたらあかんぇ」と姑はいう。

嫁が来るまで火種を守るのは姑の仕事だった。

 

年の瀬の夜。

嫁は火種が消えてしまわないかと心配で、夜更けに起きて灰を掘る。

案の定、火種はすっかり消えて灰は冷たくなっていた。

 

嫁は狼狽し、心細さと悲しさで途方にくれて家を出る。

どこかで火をたいている家から火種をもらえないかと思ったのだ。

しかし深夜の村はどこも明かりが消え、暗く寒い夜道を歩くのは嫁ひとりだった。

 

嫁があてどなく歩いていると、遠くの川辺で焚き火をしている人々が見えた。

「あそこで火をわけてもらおう」

嫁は見知らぬ人々に頭を下げ、火種をわけてもらえないかとたずねる。

「火種か」「絶やしてしもたてか」「火種ほしいてか」

「火種を絶やしたら、もう家にいられない」

「わけてやらないこともない。そのかわり、われらの願い、聞いてくれるか」

「火種さえもらえたら、どんなことでも聞きます」

 

男たちの条件はこうだった。

「実は、われらの仲間の一人が死んだ」

「三日の間、あずかってくれんか」

 

嫁は火種とひきかえに男の遺骸を背負い、深夜の村をたった一人で家に帰る。

どこに隠すか悩んだ末、牛小屋の屋根に遺骸を隠し、囲炉裏に火種を戻して休んだ。

 

翌朝のこと。

新しい年を迎え、一家で囲炉裏を囲んで雑煮を食べていると、夫がしきりに牛小屋を見る。

嫁は不安に思いながら黙っていると、姑が息子にたずねた。

「どうしたんや」

「牛小屋の上になにかあるで、ちょっくら見てくる」

 

もうだめだ。嫁は覚悟を決めて夫の帰りを待つ。

「たいへんだ!牛小屋の上にこんなものが」

「それは、私が夕べ・・・」

「おまえが、これを?」

夫が牛小屋の屋根から下ろしてきたのは大きな金の塊だった。

 

嫁は驚き、姑に起きたことをすべて正直に話した。すると姑はにこにこしながらこういった。

「あんたが会ったのは七福神さまだ。あんたは宝嫁じゃ」

それからこの家は暮らし向きがぐっと楽になり、一家はいつまでもしあわせに暮らしたとさ。

 

www.dailymotion.com

音だけ聞いてたけど、こんな絵だったんだな。人っていうか鬼じゃん。

 

福をはこんだ「嫁のまごころ」

この話は我が家の日本むかし話こわい話ランキングで微妙な位置にあった。いちおうハッピーエンドで終わるし、幽霊も化け物も出てこない。しかし嫁が火種を絶やして途方にくれるときの「どうすべ・・・どうすべ・・・」という声が、すごく怖い。ばれたらたいへんなことが起きた感がすごい。

 

「わしらのなかで夕べ仲間の一人が死んだ」からのくだりは、わけがわからない。火がぼんぼん燃えているのだから火葬するなり、土葬するなりすればいい。三日の間なきがらをあずかってくれというのがわけがわからない。

 

その条件をのんで火種をもらい、深夜の真っ黒な山陰の間を、小さな背中に男の重い遺骸を背負って歩く若い嫁の姿も、鬼気迫るものがある。音だけで聞いているからよけいに想像してしまう。

 

最後に姑がうれしそうに「あんたは宝嫁や」と語るくだりも、ぽかーんという感じだ。そこまで思いつめた嫁のことをどう思っているのか。あずかったものなんだから三日後に返さなくていいのか。大丈夫なのか。

 

しかし大人になったいま、あの話が伝えようとしていた教訓がわかって、あらためて怖いと思った。あの話は「嫁は婚家の決まりごとを、深夜に見知らぬ相手から遺体をあずかってでも守れ」という話なのだ。「嫁のまごころが福を呼んだ」という落ちだったが、「まごころ」とは、婚家の決めたことをここまでして守らなければどうなるかわからないと思った嫁の恐怖心だ。

 

わたしたち兄弟姉妹が幼い頃になんとなくぞっとしたもの、異常だと感じたものはここにあるのではないかと思う。火種が絶えたら家族で話し合えばいい、旦那さんやお姑さんに相談したらいい、どうしてそうしないの?話したら、どんな怖いことがあるの?そこがこの話の怖いところだ。ここが見えないからハッピーエンドでほっとできない。

 

物語の教訓と時代背景

我が家の怖い話ランキング堂々の一位は「津波の話」で、ついで「舟幽霊」ではなかったかと思う。しかし「布団の話」もかなり怖い話だった。これは何が怖いかというと児童虐待の話なのである。

 

「布団の話」は質屋で買って来た布団がひとばんじゅう喋るというもので、なぜ喋るかというとこの布団は親をなくした幼い兄弟がすべてを取り上げられて最後に持っていたものだからなのだ。「にいさん、さむかろ」「おまえ、さむかろ」と呼び合う兄弟の幼い声。こんなに幼い兄弟から質草として何もかも取り上げ、命まで奪った社会の恐ろしさがこの話の肝である。

 

これは幽霊や化け物の怖さとは違う。わたしたちはこの話を聞きながら、兄を自分の兄に、弟を自分の弟に投影せずにいられなかった。もしも親がいなくなり、路頭に迷って布団だけになったらどうしよう。そのときにはわたしたちもただ凍えながら身を寄せ合うしかないのか。

 

語り継がれる物語には共感を呼ぶ主題があり、その主題が普遍的なものかどうかは時の経過によって試される。「布団の話」の主題は現代にも通じる。しかし婚家絶対の時代が去ったいま「大歳の火」はやりすぎだ。

 

「夫の物を捨てる妻」の話

さて、この手の御伽話がいつまで語り継がれるのか興味がある。捨てられるものは当初もっぱら「男の趣味」に関係するものだったが、最近は仕事で必要なもの、文化資産を捨てたという話まで出ている。*1

 

「大歳の火」に「なぜほかの家族と助け合って解決しないの?」と不思議がる子供が出てくるように、「家事担当者は家族の要望にしたがうべきだ」という前提に素朴なつっこみが入る日も来ることだろう。

 

 たぶん「勝手に捨てられた」系の本質的な怖さは、コミュニケーション不全と互いの境界の曖昧さにあるんだよね。「家族の持ち物の重要度はいわれなくても察する」「家族の持ち物は家事担当者が管理する」というおかしさ。

 

散らかっていると頭にくる、センスの悪い部屋は見ていていらいらするというのは生理的なものだから、家族が混沌に腹を立てるのは時を越え、文化を超えて世界共通だと思う。「家族の持ち物と管理の仕方に頭にくる」という話自体は「布団の話」同様、今後も語り継がれていくことだろう。

 

でも、家族のなかで自他の境界をどこまではっきりさせるか、どこまで介入するかの線引きには文化と時代で、また家庭によってかなり差がある。自分の境界内のものは家族を不快にさせないように管理するのが当たり前だけど、この辺もどこまで管理するかは家庭内ヒエラルキーに影響される。その辺がどこまでうまくいっていたのか、捨てられる前の状況に興味があるよ。

 

個人的には「鑑識眼を持たない妻に物を捨てられた話」は「日本まーん話」として分類したいな。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:「勝手に捨てて大事件」の亜種には「親戚が留守中に押しかけてくる or 訪ねてきた親戚に親兄弟が手土産として / 価値ある自分のコレクションを子供のおもちゃだと思って / 持ち出して壊す・紛失する・二束三文で売り飛ばす」というものもある。

日本ミサンドリー話「ロミオメール」

$
0
0

「教訓:女が悪い」に対抗馬となる「教訓:男が悪い」系フォークロアはロミオメールだと思った。

 

「ロミオメール」は元彼が送ってくる叙情的でメロドラマのような、あるいはポエミーでJ-POPのような未練たらたらの復縁依頼メールのこと。興味のある人は「ロミオメール」で検索してください。ちなみに元彼女が送ってくる同様のメールは「ジュリエットメール」を略して「ジュリメール」と呼ばれる。

 

ロミオメールとは

数えたことはないけれど、匿名掲示板に投稿されるメールは7:3でロミオメールのほうがジュリメールより多い。よくあるロミオメール投稿の流れは以下の通り。

 

・「元彼からメールが来たので名前以外は原文ママでコピペ投稿する」

 「ストーカー化するのが怖くてあえて受信拒否しなかった」など絶縁していない理由

 「友人からアドレスを聞き出した」「ポストに直接投函された」など元彼の執拗さを示す話

 

・メロメロに甘くてヒロイックで頭の悪そうなメールで以下のようなことが綴られている。

 二人の交際期間がどれほど美しいものだったか、いまもその想いは変わらない

 「いつでも帰ってきていい」「ゆるす」「やりなおそう」など、復縁を受け入れる言葉

 ホテル代や食事代、生活費を負担してくれというたかりの言葉

 

・元彼の言葉が嘘八百だという投稿者によるネタばらし

 二人の愛は真実→相手の浮気で別れた

 すべてゆるす→元彼のDVや借金、舅姑のいびりなど非があるのは元彼だという話

 困窮している→ギャンブルや株の失敗、使い込みなど金銭的なだらしなさ

 

・投稿者には現在すばらしいパートナーがおり、しあわせに暮らしている

 「結婚したので復縁は無理」と宣言 →元彼は愕然、または発狂

 「連絡先を教えた人とは絶縁」 →毒親、夢見がちな友人など

 接見禁止令を発動 →法的措置

 

ロミオメールの肝は文章ではなく男の身勝手さ

別れた相手に未練たらたらなメールや手紙を送ることは現実にある。わたしもいぜん元婚約者にあてて、頭が沸いた状態でどっさり手紙を送ってしまったことがある。冷静になってから「あれは悪いことをした」と思った。

 

しかし問題は「現実にそのようなことがある」ということではなく、その話が特に好まれ、テンプレ化してエスカレートするのはなぜかということだ。

 

「勝手に捨てる」系の話では捨てられるものがどんどん高価になり、捨てる女の浅はかさと見苦しさが強調される傾向にある。ロミオメールでエスカレートするのは元彼の身勝手さで、いかに自分に都合よく過去を捏造し、現実を否認しているかという点が焦点になる。

 

なので、コメントが白熱するロミオメールとは元彼が単にポエミーなだけではだめだ。交際期間中に横暴で幼稚でだらしがなく、できれば浮気のひとつやふたつはしており、復縁の動機も親の介護を押し付けたい、隠し子を押し付けたい、借金を肩代わりさせたいなど身勝手さの駄目押しがある。「まったく男は馬鹿で身勝手だ」という結論にいたる話がうける。

 

ロミオメールはなぜ小気味いいのか

異色の女性向け恋愛シミュレーションゲーム「ダウト」をご存知だろうか。これは典型的な才色兼備の女性向け恋愛シミュレーションキャラが実は浮気性だったり、ギャンブル癖があったりとひとりをのぞいて全員ろくでもない性癖をもっており、それを当てるというゲームだ。

 

「これの男性版を作るとしたらどんなゲームになるだろうか」とid:ao8l22さんが書いていた。

ao8l22.hatenablog.com

このなかで「クズ萌え」という言葉が出た。女性は男性のクズっぷりをフィクションで楽しむ傾向があるのではないか、という話。その根底には「やっぱり男ってダメね!」という気持ちがあるんじゃないかと思う。

 

男性は意中のキャラクターに元彼がいたくらいで円盤をぶちわったり本を破り捨てたりするくらいなので、ダウト男性版はおそらく受け入れられないような気がする。しかし恋愛シミュレーションなど関係性を築く対象にする場合は断固お断りだけれど、男性にも「やっぱり女はダメだな!」をフィクションで味わいたい気持ちはあるのだと思う。それが「日本まーん話」系のミサンドリーフォークロアではないだろうか。

 

さらなる「男はろくでもない」裏付け話を求めて、どんどんエスカレートして設定が破綻するようなエピソードが増えていく。「女はろくでもない」もそうだ。人間不信を助長させるような、夢も希望もないような話は人気が集まる。それは現実の裏づけではない。自分たちが信じたい偏見を助長させ、人を信じて傷つくことから自分を守る現代の御伽噺なのだろうと思う。

 

「鬼が出るぞ」 だからお家へ帰りなさい。いうことを聞きなさい。

「男はろくでもない」「女はとんでもない」 だから信じてはいけません。いうことをききなさい。

 

*1

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:こころ温まる系お伽噺。

捨てないことにした

$
0
0

半年ほど前に捨てようと思った着物が捨てられず、書斎にいつまでも置いていた。

 

デスクトップパソコンを台所に移したので書斎に入らず、もちおは「お、ここは物を置きっぱなしにしていいゾーンだな」と思ったようで、書斎は物置と化し、台所はだんだんパソコン部屋になってきた。

 

考えた末、思うところあって、捨てるのをやめた。捨てられないんだから持っておこう。

 

六畳一間に二人で暮らせるような身軽な暮らしがしたいと思って、4年前に物をかなり処分した。ところが思いがけずそれまでよりずっと広いところに移り住んだ。仕事も増えて物も増えた。

 

もういい。人には向き不向きがある。わたしは物持ちで生きていく。そう思った。そしてイケアでやりたいことに必要なものを買って来た。これでいい。たくさん持って大所帯で暮らすわ。そして物を利用して夢を叶えるわ。今日はそれだけ。

「同性愛は気持ち悪い」という色眼鏡

$
0
0

生理的にぞっとするものにも文化の影響は色濃くあらわれている。

 

南国福岡にはでかい蜘蛛が出る。女郎蜘蛛ってやつ。あのくらいになるとびっくりするけれど、わたしは基本的に蜘蛛が好きだ。子供のころ蜘蛛が出ると、母がいつも「蜘蛛はいい虫なのよ。害虫を食べてくれるんだから」といったのを真に受けたのだと思う。

 

消しゴムのかすのように小さな蜘蛛が引っかき傷のようなほっそりした足で一生懸命逃げていくのを見るとかわいらしいなあと思う。物影に隠れていた黒いボタンのような蜘蛛が、とつぜんの光に驚いてぴょんぴょん逃げてくのをみると「あらあら」と気の毒になる。手のひらにのせて逃がしてやることもある。

 

実家の裏には竹やぶがあって、そこから姫鼠という小さな鼠がやってくることがあった。お琴の中やピアノの中に住んで、テレビを見ていると後ろ足で立ってじっと見ているのを祖母と祖父、母が目撃した。うらやましかった。わたしも鼠がテレビを真剣に見る様子を見たかった。

 

でも、Gはダメなんですよ。母がGが大嫌いだったから。単に嫌いなだけでなく、飛んできたGに半狂乱になった母が電撃でもくらったかのようにむちゃくちゃな踊りを踊る姿にすっかり恐れをなしてしまった。そして母はわたしがGが大嫌いなのを面白がって、黒い丸を画用紙に描いて「はてこ、ゴ○ブリ!」と投げてよこして脅かしたりした。いい思い出がない。

 

だけど北海道の人は平気だっていうじゃないですか。本州にくるまで見ないから。「人はなぜ蛇を怖がるのか。それは人が猿だった時代に」っていう話なんかときどき聞くと、いや、自分は蛇気持ち悪くないよ?と思う。蜘蛛も。

 

同性愛を不快に思うのは、高いところに上ると足が震えるとか、多量の出血を見ると血の気が引くとか、生まれついての感覚ではなく、前の時代の文化の影響だと思う。

 

え、蜘蛛や鼠にたとえるのは失礼だって?わたしもGは大嫌いだから例えられたくない。それはごめんなさい。でもわたしは蜘蛛はすきだから、蜘蛛に例えられたらうれしいな。ディズニーはやたらにGをキャラクター化して愛でるのをやめてほしいと思うけれど、それも文化的な偏見かな、と自分については思う。 

 

生理的な恐怖があるとすれば、男性は自分と互角か自分以上に強靭な肉体を持った他者から性的に侵入したいと欲望されることに慣れていないということだと思う。でも女性はそれを早いうちから経験する。だから相手の人格によらず「男の人が怖い」という感覚を大なり小なりもっている。

d.hatena.ne.jp

 

 

 これからレンタル漫画を返しにいかなきゃいけないから今日はここまで。

ブログ更新4ヶ月雑感

$
0
0

7月末から4ヶ月更新を続けた。

 

そしたら急にPVが伸びたので、あたふたして、「よし、こうなったらもっとがんばるぞ」と思って、「読んでもらえるブログの書き方」とか、「PVを伸ばす王道」みたいなものをあちこち見た。*1そして特に仕事のブログの方でいろいろ試してみた。「ブログ講座」というのにいってみようか、通信講座を申し込んでみようかとも思った。How to って魅力的じゃない?

 

で、わかったことなんだけれども。

 

王道があったとして、わたしにはその道を進む素養がないということだ。繰り返される結論。

これまでこのブログで何回か書いたけれど、わたしはメソッドに従ってアクセスを伸ばす方法に乗っかれない。何時ごろ更新するとか、広告どこに貼るとか、ファンをどう囲うとか考えて狙って書けない。「興味がない」じゃなくて、素養がないから無理だってこと。

 

「いや、待って!あきらめないで!がんばってみようよ、きっとできるよ!」と、つい思ってしまい、「なぜ出来ないんだ!バカバカ!はてこの馬鹿!」と自分を罵ったりしていましたが、やっと気付きました。がんばってないんじゃないんです。そういう能力低いからできないんです。

 

「ブログ読者とPVとアフィ収入を増やそう」系の話と自分のエントリーを比較してみる。

 

読みやすく短い文章を →長く込み入った話書いてる

誰からも喜ばれる内容を →当たったり障ったりする話題が多い

読むことのメリットを提示 →何も得しない

 

どうなの。ダメなんじゃないの、こういうの。

 

だどもよ。よく考えたら、むかしっから、人と同じにゃできねんだわ。

学習能力低いっつーか、型を再現できねんだわ。体操でもダンスでもそうだし、作文とかもテンプレに沿ったような話かけねかったもんな。沿わせようとするとものすごく時間がかかる。ただでさえ書くの遅いのに

 

だいいち、そういう話はわたしが書かなくてもいいんだわ。もっと上手に軽やかで面白い話かける人いっぱいいるんだわ。そこの下の下の末席におかせてもらっても仕方がないんだわ。うちのブログ読みに来てくれる人は、そういうの別に期待してないんだわ。

 

いや!でも!仕事のブログの方はやっぱり好き放題じゃいけないんじゃないの?!

 

と思ってあがいたけれども、ブログ経由でお仕事くださるみなさんは一様に「変わってるから会ってみたいと思った」で、がんばってテンプレ押さえて書いたエントリーはまったく人気がないんだわ。だらだら思ったことを書いた話を読んできてくださる方ばかりなんだわ。*2

 

テンプレを押さえた王道をいくことが成功の鍵だとしても、わたしにはそっち方面無理なんだから、できるやり方で書くしかない。そうやることで「お!」と思う人がわずかでもいてくださるなら、その方々をたいせつにするしかない。

 

というわけで、今後も流行の方法に憧れて、あれこれ模索するかもしれないけれど、根の部分では「これでいくしかないし、これでいい」と思った。できる人のことをうらやましがりつつ、自分に出来ることをやろうと思った。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:ちなみに10月と比べて11月のPVは容赦なく下がっておる。

*2:もちおも元はわたしのさるさる日記の読者だったんだけど、この人はもうずっとそういう「この人なに考えてるの?」に興味を持っている。

善意の声援が呪いになるとき

$
0
0

「7つの習慣」の終わりのほうに書いてあった話。舞台「ラマンチャの男」でいまわの際のラマンチャの男セルバンテス、つまりドン・キホーテが、遊女アルドンサを枕元に呼び寄せて歌う「ドルシネアの歌」という歌がある。彼はアルドンサを高貴な姫だと信じていた。

 

歌い終わえたセルバンテスはアルドンサに告げる。「忘れるな、そなたはドルシネアだ」。これは幻想にとりつかれた狂人の夢にすぎない。しかしセルバンテスの深い愛情はアルドンサのうちに眠る高貴な魂を目覚めさせ、彼女の生き方を変化させた。感動的な場面だ。

 

「七つの習慣」の著者、スティーブン・R・コヴィーは人を信頼し、ポジティブな夢を持つことの教訓としてこの例を挙げた。結果を出す前から自分を信じてくれる人、箸にも棒にもかからないときでさえ、内なる可能性に眼をとめてくれる人がいることは大きな力になる。

しかしもしもアルドンサが姫君になることをまったく望んでいなかったらどうだっただろう。

 

親の願いと子供の願い

わたしの母は娘が生まれたとき、理想の乙女を描いてそのものずばりの漢字を使った。たとえるなら麗しい娘になるようにという願いを込めて「麗子」と名づけた。しかし娘は弟と取っ組み合いの喧嘩をし、学校では男の子に混ざって飛び回るようになった。「麗子となづけたのに、ちっとも麗しくない」が母の口癖だった。



ある日、わたしが階段でアスレチックまがいの遊びをしていたとき、母がいつものようにいった。

「麗子と名づけたのに、ちっとも麗しい女の子にならなかった」

すると父がのんびりこういった。

「こいつもそのうち蛹から蝶になる。好きな男のひとりもできれば変わる」

わたしはこの父の言葉がとてもうれしかった。認められた気がした。そうか、いつか自分も「いい女」になれるんだ。「いい女になれよ」は父の口癖だった。

 

父は酔って帰ってくると、子供の寝顔をひとりひとり見て回る癖があった。夜更けに寝ないで遊んでいると父の足音がする。兄弟たちはすべてを差し置いて急いで寝床へ入る。父は上機嫌でひとりひとりの顔を見ながら何かいう。後年知ったが、かける言葉はそれぞれ違ったらしい。

「いい女になれよ」

これが父のわたしへの決まり文句だった。子供部屋のベッドの中で寝たふりをしながら聞く父のやさしい言葉は温かかった。「いい女」になろう。でも、「いい女」ってどんなものなのだろう?

 

期待に応えられないときの失望

さて、少し大人になるとわたしに対する母の願いは幼い頃とは真逆の方向へふれた。母はわたしの誕生日に「あなたはわたしの理想の息子です」と書いたカードをよこし、少女らしい趣味を持つことを毛嫌いし、少女漫画を読むことをあからさまに馬鹿にした。男子に仄かな思いを寄せた兆候をみれば目ざとく首を突っ込み、他人の前でその話を持ち出しては笑った。*1

 

しかしわたしは母の息子にはなれない。粛々と第二次成長期を迎え、体つきも変わった。母は不潔なものを見るような目でわたしを見て、「サイズが合うから」と男物の服やパジャマや靴を買ってきてはわたしに着せようとした。それらはみな丸みを帯びた華奢な少女が着るには無骨すぎた。母の選んだ服を着るわたしはみっともなかった。

 

一方で父は「おまえは女なんだから」と外出時間や交際範囲に厳しく目を光らせた。進学先に候補に女子高をあげ、母と離婚したあとは両親も兄弟たちも漠然と長女のわたしが母親代わりに家事を引き受けるものだと思っていた。わたし自身もそうすべきだと思った。だからその期待に応えるだけの能力が自分にないことを知ったときはたいへんな失望を味わった。

 

女なのに。お姉ちゃんなのに。息子にも娘にもなれない。

「やればできるのに、やらないから」

勉強でも習い事でも家のことでもよくそういわれた。自分でもそう思った。やらないから出来ないんだ。本当は出来るはずなのに。だって同じ年の女の子でそれが出来る子はいる。わたしにだって出来るはずだ。同じ年の男の子でもっと上手くやれる子もいる。わたしだってできるはずだ。やればできるはずだ。

 

でもそうはならなかった。

 

「男らしさ」「女らしさ」

「男らしさ」や「女らしさ」ってこんな風に背負うものじゃないかと思う。男子に、女子に生まれたからには生来その能力が備わっている。まだ開花していないだけ。時期がくれば、開花のためのしかるべき努力をすれば、自然にできるようになる。だって男なんだから。女なんだから。

 

それは愛する家族のあたたかい腕の中でなんども語られる。いい子になろうと思うように、「いい男」「いい女」になりたいと思う。それは自然な成り行きだ。それが何かもわからないうちに。

 

でも期待にこたえられないことがあると「男の子なのに」「女の子でしょ」とため息をつかれる。「男だからそのうちできるよ」「女なんだから大丈夫」と請合ってもらえる。なんだかわからないけれど、期待に応えたいと思う。それは自然なことだ。期待に応えられないときに落胆するのも当然だ。

 

遊女アルドンサを姫君ドルシネアだと信じたセルバンテスの夢はアルドンサの内奥の夢に働きかけた。それは彼女の内なる願いと一致したのだろう。幸運だった。もしもそうでなかったら、これは呪いになっていただろう。

 

親の枕元に呼び寄せられて、「あなたならきっとできる。信じている」とこころからの善意で、絶望的に適性のない人生を委ねられたらどんなに辛いだろうと思う。

*1:結婚後まで!

ランサーズ受難

$
0
0

今日という今日は本当に時間がない。

 

ランサーズのテキスト募集に応募してみたのだけれど、テキストだけでなく画像を選んで添付しなければならず、それがたいへん。先にテキストを書いてしまってから画像を探すとなかなかしっくりくるものがない。さくさく書けるようになったとして、さくさく画像を探すのが大変だ。抽象的な話や精神論だとイメージ画像ですむからいいのかな。

 

提出形式もテキストではダメだそうで、対応の有料ソフトが日ごろ使っているPCに入っていない。と、いろいろ制約があって早くもうんざりしている。そしてお試し、お試しで書かされたものを含めると1文字0.5円を割っている。うううむ。

 

これ終わったら腹をくくって本業一本でやっていこうと思った。このブログのアドレスをプロフィールに載せなくてよかった。


連続更新しっぱい

$
0
0

ああ、終に当日更新できなかった!*1明日からまたがんばります。

 

あまり読まれていないんだけど、このカーペットスイーパーが本当に優秀なので未読の方はぜひ目を通していただきたいわん。じゅうたんすいすいキレイにする機会が増えてすっきりよ。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:25時までは当日とみなしていた。

揚げおろし餅生活

$
0
0

わたしは体調と状況さえゆるせばいついつまでもどこまでも家の中のことをあれこれ片づけるのがすきな人間なのですが、このところ体調も状況もそれをゆるす方向にあるので、まいにちうきうき家事にいそしんでおります。

 

また丸餅がフグ刺しの次くらいに好きで、体調と状況さえゆるせばいついつまでも何個でも餅を食べていたい人間でもあり、ここ数日は餅を揚げてはポン酢をかけて大根おろしに乗せて食べることに忙しく、今日は一人で日に9つも餅を食べてしまいました。

f:id:kutabirehateko:20151214143705j:plain

ポン酢が油をさっぱりとさせ、油が大根おろしの辛みを和らげ、大根おろしが餅の消化を助け、夢のコラボで食が進みます。食後に揚げおろし餅、食前に揚げおろし餅と夢の饗宴を満喫していたら大根が終わってしまったので、先ほど深夜スーパーに大根を買いにいきました。

 

そこでふと切り花が目に入り、水仙と薔薇を買ってきました。花を飾る気になるときというのは自分の中で抜群に調子がいいときです。一昨日は繕いものをして、ちょっとした手芸小物も作りました。針を持つ気になるときというのは自分の中にとても心の余裕があるときです。

 

そのようなわけでついついブログがおろそかになっています。でもブログ更新しまくっているときというのは、他に何もできないのでパソコンでも開くか、と飲まず食わずトイレも行かず眠らないで書いていることが多いのです。夏バテがどれほど更新頻度をあげるかは8月のブログエントリーの数をご覧いただければよくわかると思います。あれのほかに仕事ブログ書いて増田も書いていました。

 

若いころは夏がすきで冬が嫌いだったけど、クーラーには耐えられないけれどヒーターには耐えられる身体になったいまは冬の方が好きです。ということで、これからお風呂で温まって寝ます。おやすみなさい。

癌患者の家族を助けるもの

$
0
0

1月に、もちおが、進行がんだと判明しました。

 

駄洒落を制御できない世代に入り、日々くだらないことをうれしげに言い続けていたもちおもさすがにショックが大きく、「運命」の曲に合わせて「ガガガガーン」とつぶやいたのは診断が降りた日も深夜、日付けが変わるころになってからでした。

 

病名で検索すると誰かGoogleに圧力をかけているのかな、と思うほど恐ろしいことしか出てこないため、わたしもこれまでの人生で味わったことのない衝撃を受けてました。というか、いまもなお受け続けています。

 

わたしはこれまで「癌」という文字を見ることすら恐ろしく、Gではじまる例の虫を避ける勢いで徹底して癌情報を避けて生きてきました。書店で背表紙を見るのもいや、映画や小説でストーリーにちらっとでも癌の要素があったら観ない、見てしまったら早送りするか速読&ネタバレ検索をする。そういう方針で生きてきたのです。

 

いまにして思えばそこまで癌を恐れていたのも何かの宿縁のように感じます。

 

もちおが告知を受けてからの二ヵ月あまり、わたしはこれまでの人生で避けてきた癌関連書籍、webサイトを総なめにして情報を集めてきました。そして現在もっとも期待できるともちおが判断した医療機関に判断を仰ぐとともに、これはと思う各種健康療法を試しています。

 

でも癌治療って原発と似ていて、意見が敵対していることが多い。

 

抗がん剤受けるべき派 VS 抗がん剤ダメ絶対派

健康療法&食事療法は金の無駄派 VS 健康療法&食事療法に勝機あり派

スピ系&神頼み無駄派 VS あなたの知らない世界系影響力重視派

 

「間をとって抗がん剤受けながら健康療法しつつちょっと食事療法と神頼みも」

みたいなことをすると「それじゃ水の泡だ!」と両陣営から叩かれたりね。それでブログが「生前お世話になったみなさまへ」で終わってたりすると「ほらみたことか」ってなる。

 

なので今回はもちおがいまどういうことをしているのかは書かないことにします。代わりに癌患者を看護する家族として助けになったことと、負担が増したことを書きます。今回は助けになったものです。身近に同様の状況の方がいらっしゃる方の参考になればうれしいです。個人的には介護や看護、保育や介助の負担が大きい方についても考える機会になりました。

 

助けになったこと

がん保険

ひまわり生命の「勇気のお守り」というがん保険に2011年に入っていた。もちおは年末の仕事の打ち上げ以外では飲酒もせず、喫煙もしないし身内に癌を患った人もいなかった。けれども同年原発事故があったことで放射能について深く考えさせられ、万が一に備えて入っておいた。毎年6万円ほど支払っていたと思う。

 

60歳満期で以降は払い込み済み扱いで保障が続く。一年あたりの支払限度日数が多く、診断が降りてからの通院、入院、すべて対象となる。

 

メットライフアリコの医療特約にも入っていたが、こちらは入院してからでなければ通院分の保険が出ない。つまり手術が出来ないなど何らかの理由で入院せず治療をした場合、1円も保険がおりない。入院したとしても入院前に検査通院する機会は少なくないのでこれはかなり痛い。何のための保険だ。

 

一方、ひまわり生命の「勇気のおまもり」は診断がおりると一時金として100万円振り込まれる。「ひゃくまんえん!わー!ごじゅうまんえんのパソコン買いたい!」と一瞬もちおは浮かれ、わたしも欲しいものは何でも買ってあげよう…!みたいな気持ちになった。しかし社会保険の三割負担でカバーできない買い物が驚くほどあり、まもなくこの100万円の虎の子感とありがたみがわかってきた。

 

「何かとご入り用でしょうから、こちらの一時金はすぐにお振込みが可能でございます」

ひまわり生命のお姉さまがおっしゃった理由を痛感した。交通費、健康食品、健康器具、健康施設費、飲料用の水、寒い家を薄着で過ごせるだけの光熱費、無農薬野菜や外食費などにも使っている。もちろん休業分のカバーにも充てる。

 

現金や金券などのお見舞い

もちおから目が離せないので家から出る機会が作りづらい。また健康回復に効果がありそうなもの、よい情報が得られそうなものを次々に、また定期的に買うようになり、週に何度も宅急便に来てもらうようになった。Amazonポイント&楽天ポイントがどんどん貯まってどんどん減る。なのでこちらが必要とするものに替えることが出来る現金や金券は本当にありがたい。*1

 

でも実はいままでいただいたお見舞いはまだ1円も使っていない。お見舞いをいただくともちおは自分を思ってくれる人がいることをとてもうれしく思うみたいだから。いただいたお見舞いはすべてもちおの個人的なお金が入っている引き出しに入っている。小遣いを使う機会も減ったので、それと合わせて貯まったらパソコンを買う予定らしい。そういう形でもちおが元気になれるならお見舞いを下さった方が喜んでくださればいいなと思う。

 

実母はいつも年金暮らしの苦労を切々と語り、家計簿は欠かさず、1円もおそろかにしない。その実母が砥石ほどの札束が入った茶封筒を差し出し、「完治したら働いて返して」といった。夢見ていた店を開くために貯めたお金だった。母の店舗探しにつきあい、経営に関する本の話を何度も聞いた。そのお金を母は丸々もちおの治療にあてるように手渡してくれた。

 

わたしはこれまで母に対してお金に関するいくつかの根深い怨みを持っていた。茶封筒の中のお金はかつて必要だったときに控えられたそれを大きく上回る額だった。そしてそのお金はいまこそ必要だった。これだけはもちおの引き出しではなく厳重に鍵のかかるところへしまった。

 

看護者あてのお見舞い

一方わたしは例の自分の変な仕事をする時間がほとんどない。なのでブログ経由で細々とAmazonポイントが忘れたころに届くとありがたく思う。*2*3いまはもちおが第一、自分のことなんか考えてる場合じゃないと自分を叱咤するけれど、最低限の理美容や被服*4、電話や仕事関係の維持経費など出費はそれなりにある。

 

これまでの貯金で何とかなってるんだけども「お見舞いとしてじゃなく、わたし個人にお小遣いなりで手渡してくれたらなあ」と何度か思った。今後こういう機会があったら看護してる人向けの心遣いもできるようになりたい。出産祝いは赤ちゃん向けだけじゃなくお母さん向けもね、みたいな。

 

看護者のための食事

「もちおさんは食べられないかもしれないけれど、はてこさんが食べられるなら」と、とても貴重な美味しい物を送って下さった方がいた。これはもちおもいくらか食べることが出来て、本当にありがたかったし、個人的に身も心も慰められた。

 

食べられない病人を前にすると理不尽な後ろめたさに襲われがちなせいもあり、自分の食事がどんどんおろそかになる。また健康に害を及ぼす食品リストを目にする機会が増え、あれもこれも食べたらいけないような気がしてくる。*5

 

こういうとき「はてこは何が食べたいの?」と父の奥さんが聞いてくれたこと、わたしの希望に応じて届けてくれたスープストックの冷凍スープは日常的な感覚を取り戻すのに大いに貢献した。食べていいんだ、そうだ、食べないと、と思った。

 

入院見舞いに通っていた間、実母はたびたび夕飯の支度をして待っていてくれた。食事ももちろんのこと、もちお以外の人と顔を見て食事をすること自体がほとんどなくなっていたので、自分の食事に対するスタンスがどれほど変わったかよくも悪くも思い知らされた。

 

癌について考え続けていると、質、量ともに普通の食事の感覚を見失いそうになる。一時期よりましだけれど今もその種の混乱はある。健康にいいのか、悪いのか、どこまでなら、どんな調理法ならいいのか、毎日悩む。

 

母はわたしが選んだ食事方法を可能な限り尊重し、驚くほど工夫して許容範囲で美味しい物を作って出してくれた。ありがたかった。これまでの一切合財返上してありがたいと思った。

 

病気と直接関係のないプレゼント

あたたかいお手紙を添えて、よく眠れるというクラシック音楽のCDを送って下さった方、バレンタインのカードとともに薄くて量の少ない上質なチョコレートを、生姜入りのほうじ茶とチャイのティーバックといっしょに贈ってくださった方もおられた。どちらも病気見舞い用のものではなく、日常のささやかな楽しみとして味わえるように配慮してくださったことがありがたかった。二人きりの暮らしは癌一色になりがちだから。

 

実母は「免疫を上げる本」として笑える画像の文庫をもちおにプレゼントしてくれた。現在もちおの暮らしはONE先生の作品を中心とした漫画の力によって支えられているので、漫画や雑誌の差し入れは病人を支えると思う。看護してる側は読むひまがなかなか取れないので、仕事をしながら楽しめるもの、いい香りがするもの、見て楽しめるもの、耳で楽しめるもの、手をかけずに口にできるもの*6がいいと思う。

 

支持的に話を聞いてくれること

入院時、隣のベッドにいた男性が看護士に電話を掛けさせて妻を呼び出し、かけつけた妻を怒鳴りつけていた。ナースコールの返事がなかったので、ベッド下に落ちていたティッシュの箱をわたしが拾って差し上げたからだ。

 

「お前がはよこんけん、まわりに迷惑かけるっちゃろうが!隣りに謝っちょけ!なしもっとはよこんか!」*7

「手術したばっかりやけん、あんまりはよきて疲れさせんごとっち先生がいいよったきね…」*8

「よそはみんなはよ来とる!看護婦は俺の面倒みきれんたい!」*9*10

 

ティッシュの箱ひとつでめちゃくちゃ怒鳴ってた。この人はその後かけつけた、どうやら姉らしき女性にはデレデレであった。

「我慢したらいけんよ?我慢がいちばんようないんやけんね、辛かったやろ」*11

「こげな大きな病院入っちょうけど、やっぱり看護婦が俺を世話しきらんとよ」*12

「(奥様が)昨日(入院している夫を)置いて帰ったっち言いよったき、『なしね!』っちいうたんよ。意識がないでもそばにおって手を握るだけでも違おうが。本当にもう考えられん」*13

「金はいくらかかってもいいから、はよ個室を用意せえ、っち言いよるとたい」*14

 

奥様は夫の手術中待機して、術後は5分で退室しろと言われていたはずだ。しかし翌日面会時間開始直後に来なかった、その間患者が落としたティッシュの箱を拾えなかったことで病院経由で呼び出しをくらい、実質公衆の面前で怒鳴りつけられ、小姑にはきつい小言を言われていたのだった。

 

「癌患者は辛抱強くいい人が多い、だから癌になるのだ」という説がある。わたしは今回病室の方々を見ていて、あれは最大公約数的に違うようだな、と思った。件の男性は医師に対して「私はこれまで何でも我慢しよったけん、こげな病気になったとでしょうねえ」*15といっていた。客観的に見てそうだとすれば、少なくとも癌患者として自分を見るようになってからはそうではないのだと思う。

 

このエピソードはその後数日わたしの脳裏に何度も蘇ってきた。なぜなら妻の世話を焼くことが生きがいだったもちおが、体調の悪化とともにどんどん妻の必要に気付かなくなっていったからだ。

 

誰かが必要とするものを心身ともに24時間気遣いながら、自分のことは自分で気遣うしかないという状況はとても疲弊する。空腹や眠気、排泄といった生理的な欲求も後回しにして人のことを気遣いながら、こちらの状態には気付いてもらえない。落ち度を指摘され、嫌味を言われ、慰めの言葉にため息をつかれ、差し出した手を押し付けだと逆切れ同然に糾弾され、黙るしかない。相手は極限状態にある病人で、自分は「健康体」なのだから。

 

わたしの人生にはこれまでも一方的に人を支えるだけの状況が何度かあった。そんなとき疲れ切ったわたしを支えてくれたのはもちおだった。やさしい言葉と温かい食事とやわらかなスキンシップがあった。でもいまそんなもちおはいない。「いまはもちおが病気なんだから、わたしが支える番だ」と思う。でも自分をケアするリソースが、時間も体力も気力もない。

 

こういうとき、文字通りただただ話を聞いて「生きろ。とにかく生きろ」といってくれた人がいた。こうしたらいい、ああするべきだ、これはやめろと指図しないでくれたことは大いに助かった。そんなことは自分で自分に出している分でもうたくさんだ。これ以上課題を出したり従ったりすることをこちらに求めないとわかっている人に気持ちを打ち明けられるのは本当に慰められた。

 

「自分も同じ気持ちだ、よくわかる」といわれるより「自分にはわからないけれど」と言われる方がわたしには安心できた。

 

看護に疲れている人は解けない問題を前に悩んでいるのではないと思う。ただただ疲れていて、元気だったら平気なことやさっさとリカバリー出来ることが出来なくなっているのだ。歩けなくなっている人に右足と左足を交互に出せばいいといっても助けにならないし、疲れていない人を基準にやらせようとしても上手くはいかない。

 

仕事

もちおに診断がくだってわたしが最初にしたことは、所属先に無期限で休業届を出すことだった。24時間目が離せなかった。当初は何曜日に何時間だったら一人に出来るとは思えなかったし、医師はこれ以上ないようなお通夜顔だった。

 

それでも仕事柄個人的な伝手で、またこれまでお世話になっていた取引先やお馴染みのお客様からポツリ、ポツリと仕事の依頼があった。すでにスケジュールが決まっている仕事は引き受けざるを得ず、それ以外ではタイミングが合った方からの依頼はお受けした。

 

家では24時間、寝息にも耳を澄ませて様子をうかがった。入院中は毎日面接時間枠いっぱいベッドの横にいて、足を揉んだり欲しがるものを買って来たり何くれとなく世話を焼いた。わたしがベッドを離れたのは外せない仕事がある時間だけだった。

 

当初は1分1秒でも離れることが不安で、美容院で席に着いた直後に立ちあがって帰ろうとしたほどだった。だから「たかだか仕事のためにもちおを一人にするなんて」「二人で生きて顔を見ていられる時間を失うなんて」と思った。早く仕事を全面的に辞めなければと考えていた。

 

けれどもぬぐえない悩みを抱えたまま仕事場に入り、お客様を前に頭を切り替えて仕事に集中するのは悪くなかった。不安はなくならない。胃がせり上がってくるような恐怖も消えない。それでも、前と同じように世界は続いているのだということがわかった。わたしたち二人の世界は告知された瞬間から何もかもが変わってしまったように思えたけれど、変わっていないこともあるんだと思った。時には少しだけ以前と同じような「なんともない日常」の感じを味わうことが出来た。

 

もちおがそんな時間を持つことが出来ているのかどうかわからない。そんな時間が一瞬もないとしたら、と思うと、わたしだけがそんな風に緊張をゆるめてることに罪悪感も覚えた。けれどもやっぱり緊張し続ければ焼き切れてしまうし、焼き切れてしまったら看護できる人はほかにいない。

 

仕事に助けられたもう一つの側面は、自分にもできることがまだあるという感覚を味わえたことだ。

 

医療に救いはなく、自分にはなすすべもないと感じているときの恐怖と無力感はひどいショックをもたらす。自分の無能さで大切な人が弱るのだと思えてくる。*16そのうち自分には世界の役に立つことは何もできないし、居ても意味がないように思えてくる。自分が役に立てることがあるとしても、もちおの苦痛を取り除いて、もっといえば病気を完治させることができなければ、そんなものは何の役にも立たないのだと思えてくる。

 

でも仕事に入って、目の前のお客様や仕事をくださった取引先が喜んでくれると、わたしが世の中に貢献できる分野はここにもあったんだ、と思えた。売上があればそこから少し贅沢だけれど夫が楽になるのではと思えるものを買うことも出来る。わたしの仕事は人の役に立っているし、売り上げは家計や夫を助けていると思えた。

 

いろいろ考えて、仕事は続けて行こうと思った。続けられる間、というより、断続的に続けて行こうと思っている。「お仕事ください」という決心がついた。

 

もし看護している方が仕事を持っていて、本人に続ける気があるなら、それを続けられるような励ましや後押し、現実的な支援は大いに助けになると思う。生活が看護一色にならないために、また自分を「看護者」以外として評価する機会が出来るし、些少であっても収入面で助けになる。そのうちいくらかでも誰に気兼ねすることなく自分のために使うことができれば、そういうお金がない場合とはぜんぜん違う。

 

意外にも仕事を続けるようはっきりすすめてくれたのは父の奥さんだった。「二人が別々に過ごす時間も必要よ。そうでないとはてこが倒れてしまう。そうなったら誰が代わりになるの。もっちゃんははてこが倒れないように気遣ってあげないとダメよ」。

 

この一言でわたしは代打を頼んでいた仕事を自分ですることに決め、二ヵ月ぶりに数日続けてもちおに一人の留守番を頼むことができたのだった。さいわいさまざまな幸運にめぐまれてもちおは小康状態であった。でも継母の後押しがなかったら、わたしはあきらめていたと思う。

 

本はめっちゃ読んだけれど、前述のように物議を醸すに違いないので紹介は控えます。ブクマで否定派、肯定派にいろいろ書かれたりしたらまた気になっちゃうからね。

 

癌治療に関してバランスがとれていると感じた本を一冊だけ紹介したいと思います。著者は免疫療法を研究するお医者様で、御尊父と奥様を癌で亡くされています。医療従事者として、また癌に罹患した方の家族として、わかりやすく配慮のある一冊でした。

 

わたしがいうのもなんだけど、みんな元気で癌に縁がない間に読んでおくといいと思うわ。そして何の因果か病を得てしまったときは自棄にならないで日常をだいじにしていこう。お互いに。

 

 

kutabirehateko.hateblo.jp

 

お見舞いありがとうございます。活用させていただきます。

 

*1:野菜とかガスボンベとか冷凍ジュースとか日持ちしなくてかさばる消耗品買うのにギフト券助かります

*2:いつか欲しいものリスト公開する派に参入するわ。

*3:さっそく作った

*4:クリーニング代や靴の補修とか維持管理費もね。

*5:もちおは3か月で20kg痩せた。わたしは4kg痩せた。わたしのBMIは現在14.2、体脂肪率は11だ。

*6:胃腸の負担にならず、賞味期限を気にしなくてよく、かさばらないもの

*7:おまえが早く来ないから、周囲に迷惑をかけているだろう!なぜもっと早く来ない!

*8:手術したばかりだから、あまり早く来て疲れさせないようにって先生がおっしゃっていたから…

*9:「よそはみんな早く来てる!看護婦は俺の面倒を見きれないんだ!」

*10:ナースコールして落ちたモノを拾わせたり、固定電話を使って家族を呼び出したりしようとしたが、思ったようにいかなかった。

*11:我慢したらだめよ?我慢がいちばんいけないんだからね、辛かったでしょう?」

*12:こんな病院に勤めているが、やっぱり看護婦は俺を世話しきれないんだよ」

*13:「(義妹が)昨日(入院している弟であるおまえを)置いて帰ったって言ってたから、『どうしてよ!』っていったのよ。意識がなくてもそばにいて手を握っているだけでも違うでしょう。本当にもう考えられないわ」

*14:「費用はいくらかかってもいいから、早く個室を用意しろって言ってるところだよ」

*15:「私はこれまで何でも我慢していたから、こんな病気になったんでしょうねえ」

*16:「もし俺がヒーローだったら 悲しみを近づけやしないのに」という歌が頭の中でぐるぐるまわった。

ガン患者への「癌に食事療法、健康法、民間療法は効果がない」発言は自己満足にしかならない

$
0
0

前回のエントリーで食事法や健康法について何も触れていないのに「それは、これは癌に効かない」とブクマに書く人があらわれた。

 

長文書いたから斜め読みする人が出るのは仕方ない。わたしもするもの、斜め読み。うむ。

 

こういう発言っておろおろしてると他意なく反射的にしちゃうこともある。でもこれは善意から出たものであっても、結果的に言ってる人の自己満足の押し付けにしかならない。言われた側はびたいち救わず、慰められず、癒されもしない。負担でしかない。

 

特定の健康法の中断をすすめることが妥当なのは、ヒ素を飲むとか処女の生き血をすするとか、ある種の療法が肉体的に有害なことが明白か*1、社会的な制裁対象になる場合、また時間や体力、経済的に負担が大きく、治療以外の生活が成り立たなくなる場合だけだ。

 

医療もふくめて癌患者を対象にした商品は高額なものが多い。また平時だったらとてもほしくならないものが多い。なので金額を聞いた瞬間止めたくなる人もいる。でも自分のお金でマカオで美女をはべらせて札束をばらまくのも自由なら、好みの療法にお金をかけるのも個人の自由だ。これに意見できるのは家族だけで、同じ船にいない人のそれはアドバイス罪にほかならない。

 

追記:まさにこれ。

スラックティビズム - Wikipedia

  

しかし問題は口出しする権利があるかないかだけでなく、この種の発言がまったく見当違いだということだ。どうして食事療法や健康療法、民間療法に取り組む癌患者に「それは、これは癌に効かない」というのがお門違いなのかを書くよ。

 

癌患者もあなたの同じ肉体を持っている

ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、ガン患者も怪我をします。注射したあとには血が出るので止血テープを貼ります。お医者様も看護士さんも「止血したって癌は治らないから意味がない」とは言いません。

 

またガン患者も何らかの形で呼吸をし、排泄をし、食事をして栄養を摂って眠ります。それらが順調なら快適さが増しますし、まずければ生活に苦労があります。

 

食事が難しくなれば摂取しやすく消化しやすい食事、量が少なくても栄養価の高い食品と調理法を選びます。これが食事療法です。

 

また呼吸や排泄が難しくなれば肉体を動かしたり、外から力をかけたりして楽になる方法を探ります。これが運動療法です。

 

ところが、何ら病気をしていないときに健康法に励むことをやめさせようとする人はあまりいませんが、癌患者とその家族が食事や運動に気遣い、血行を促進する健康施設や健康器具を活用し始めると、「食事療法や健康食品は癌に効果がない」とドヤ顔で、あるいはお通夜顔で言い出す人があらわれます。

 

食事と睡眠、呼吸と排泄が楽になるように創意工夫をこらすのをやめろ。これは、言い換えれば「息をしたって癌は治らないから呼吸をやめろ、排泄したって癌は退縮しない」と言っているのと同じです。

 

問題はガンが退縮し、消滅するかどうかではありません。

 

生きている間、なるべく楽に呼吸をし、食事を摂り、排泄して眠るために役立つかどうかということです。なぜなら生きている限り、人は誰でもなんらかの方法で呼吸して、睡眠と食事をとり、排泄しなければならず、癌患者は死人ではないのです。

 

癌患者もその家族も、癌を治すために生きているのではありません。おそらくあなたもそうですよね? やっても癌が完治する保障がないということは、気に入った活動を止める理由にはなりません。

 

玄人も見当違い発言をする

このような見当違い発言をするのは素人だけではありません。医療従事者であっても善意と、ときにある種の正義感から患者とその家族が模索する療法をやめさせようとすることがあります。もしかしたらそれを見た素人が真似をして、自己満足の押し付けをしているのかもしれません。

 

たとえばこんなことがありました。

最近は身体の状態を改善し、免疫を向上させるものには必ずといっていいほど「アンチエイジング効果がある」と添え書きがあります。わたしたちが選んだ健康法の中には美容目的で実施されているものが数多くあります。*2

 

あるときわたしたちは医療従事者でなければできない施術を受けるため、エステサロンへいきました。担当の医師は若く見栄えのいい男性でしたが、問診票の来院目的欄でもちおが癌であることを知ると、すっかりお通夜顔で言いました。「これは癌には効果がない」。

 

人のいいもちおはガン告知以来、このようなお通夜顔の医師を気遣う癖がついており、相手の言い分を受け入れつつ、専門医の診断を受け、治療スケジュールがすでに組まれていること、また効果が不明瞭なことは承知した上で、それでも実施してほしいのだと説明しました。しかし100%自己負担で医師の説明に納得したことを伝えても、医師は癌の三大治療について繰り返すばかりでした。

 

それでわたしは言いました。
「わたしもエステに一回いったくらいで癌が完治するとは思っていません。わたしたちは身体の状態がよくなり、日々の暮らしが少しでも楽になるようにここへ来たのです。まともに食事も取れない状態でそのような苛酷な治療に臨むのは不安です。」


医師はようやく別室に案内して広告通りの施術をしてくれました。

 

癌の権威と自負している漢方医に会いに東京へ出たこともありました。食生活に話が及んだとき、ふとした会話からふいに医師の目つきは険しくなり、とつぜん「玄米菜食とか、あれ嘘やからな」ときつく言われました。

 

癌に対する食事療法として玄米菜食はとても人気があります。癌患者に限らずそれで調子がいいという人もいるのですから、それが身体にあう人もいらっしゃることでしょう。中医学の医師が指導する食事療法とは食い違うところがあるとしても。

 

わたしは特定の食事方法を実行するかどうかは癌が完治するかどうかという問題ではないと思います。それが当人の身体とライフスタイルに合うか、何より当人がそれを望むかどうかではないでしょうか。それは癌患者でも、そうでない人であっても同じです。

 

癌に効果があるとされる食品にアレルギーがあれば適切とはいえません。逆に効果がない、有害だとされるものであっても、それ以外何も口に出来ないときは10年先の命ではなく、今日、明日の命のためにそれで食いつなぐこともあります。そういう場合、健康食品は「栄養補助食品」ではなく、主食なのです。


「普通の食事+健康食品やサプリ」とは限らない

もちおは一時期ほとんど何も食べることができませんでした。普通サイズの皿を見るだけで気持ち悪くなり、また出されたものを食べきれないことで不安が増します。ほんのひとくちずつ、お猪口や醤油皿に惣菜を並べ、デミカップにお汁を添えた食事はお雛様のお膳のようでした。本当に食事のたびに怖くて悲しくてたまらなかった。

 

検査の放射線被ばくの影響についてはさまざまな意見がありますが、被爆系の検査を受けるたびにもちおの体力は驚くほど消耗しました。抗がん剤の影響たるや、これがなぜ認可されるのかわたしには理解できないほどです。

 

そういう状況でいわゆる健康食品、栄養剤やサプリメントは活用されているのです。

 

健康食品に効果がない? 何の効果が? 癌が完治しない? だからなんなの。あなたはスプーン一杯のしぼり汁すら飲み込めなくなったら、何から栄養を摂るつもりなの? 病院食? 点滴? それはちょっと現代医学と医療体制に甘い期待をしすぎているんじゃないかと思うわ。*3

 

「ほとんど栄養にならない」?

 

あのね。他人からしたらありふれた病人であっても、家族にとってはほんのわずかでも栄養になるなら有り金はたく甲斐のある人なのよ。

 

抗がん剤はがんを治さない」とはどういう意味か

「癌に民間療法は効かない。手術、抗がん剤放射線のいわゆる三大治療だけが医学的に認められたもので、それ以外は金と時間の無駄」とおっしゃる方に知っていただきたいことは、多くの抗がん剤は癌を退縮させる目的で作られたものではないということです。これは医師からもはっきりいわれます。

 

抗がん剤は癌細胞を含め、体中のあらゆる細胞の増殖を防ぐことを目的に作られています。癌細胞にも寿命があります。またNK細胞など免疫が癌細胞を殺します。このような働きが癌の増殖が止まっている間に起きれば、結果的に退縮が期待できるのです。

 

つまり抗がん剤を摂取しても、癌細胞の増殖が止まっている間に免疫が働かなければ癌は減らないのです。

 

抗がん剤を受けるにしても、受けないにしても、結局は免疫を上がるかどうかの問題なのです。抗がん剤は増殖が止まることを期待して投与されますが、免疫の働きを激減させます。抗がん剤を投与している間、免疫を強化できるかどうかは大きな差異をもたらす問題なのです。

 

抗がん剤か(食事法、健康法を含め)民間療法か」という問題ではありません。どういう状況であってもわたしたちは各自免疫を強化する必要があり、癌患者にとってはそれが特に重要な、文字通り生きるか死ぬかの問題なのです。そして一般的に病院からその種のアドバイスを期待することはできません。*4

 

癌患者にもあなたにも寿命はある

わたしたちは誰でも息をして、食事をして、排泄をして、眠ります。どうしたらそれがスムーズになるかを考えるのが健康療法であり、食事療法、また各種民間療法です。つまりわたしたちは誰でも自分なりの健康法を実施しながら生きているのです。

 

あなたにはあなたの健康法があるでしょう。他人に横から「その食事はあなたを不老不死にすることはできないよ」「トイレなんかいったって永遠に生きられない。これは医学的に証明されている」といわれる必要があるでしょうか。

 

人は永遠に生きるためでもなく、病を治すためでもなく、日々少しでも健やかに安らかに暮らすために生き方を模索しています。それは癌患者もその家族も同じです。

 

第一、ある行為が癌の完治に寄与するかしないかなんて、誰にわかるでしょう。あなたが神さまなら別ですよ。そうじゃなければ、匙を投げるくらいしかできなくなったお医者さんの真似なんかしたって、ひとのちからにはなれないわ。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

 

お見舞いありがとうございます。活用させていただきます。

 

*1:だけど抗がん剤なんかあれだけ有害さが明白でも使うから、究極的には当人の好みの問題だよね。

*2:たぶんもちおにつきあってそれらを実行しているわたしは三ヵ月後くらいにめちゃくちゃきれいになっているはず。

*3:「1パックで一日分のカロリーが摂れる」といったゼリー系飲料も、飲みこんだあとに動機がして横にならずにいられないこともあった。抗がん剤がはじまってからは妊婦のように香りや食感に敏感になり、好きだったものをまったく受け付けなくなったりもした。サプリも錠剤の形状、大きさ、匂いで飲めたり飲めなかったり

*4:手洗いうがい、マスクをしなさい、体を冷やさないようにがせいぜい。これは感染症を防ぐ目的であって免疫を向上させるためではない。

お見舞いありがとうございました

$
0
0

f:id:kutabirehateko:20160331224527j:plain

今朝amazonの箱を持った馴染みの宅配便のお兄さんがやってきた。

「これはこちらでよろしいんでしょうか…?」

宛名は「kutabirehateko様」であった。

 

レキシのCD*1を、そして四穀のつゆ*2をありがとうぞんじます。

お会いしたこともない方からこんなに気遣っていただいて、もちおともどもほんとうにとてもありがたく、心強く思いました。

 

毎朝ラジオを聴きながらジューサーでジュースを作り、大量の搾りかすを地道に洗い、もちおが朝飲む錠剤関係を用意する。今朝は「きらきら武士」を聴きながらジュースを作った。ウキウキした。音楽、ちからある。

*3

 

四穀のつゆの方は、あいにく麺類を切らしていたのだけれど、もちおが蕎麦を食べに行きたいというので午後から出かけた。家を出るのは数日ぶりで、蕎麦を食べに行くのは告知以来はじめて。道々満開の桜を眺めた。

 

わたしはもちおがだいすきで、もちおはわたしがだいすきで、二人でいるのはしあわせなことです。けれどもお互い病院以外に行き場がない暮らしが続くと、外の世界と切り離されたように感じることがある。

 

ときどき友人、知人の近況をSNSで読んだり、はてな界隈を眺めたりすると、もう前みたいにそこに加わることはできないだろうなと思う。仕事繋がりの人が成功をおさめ、さらに大きな挑戦をしているのをみて眩しく感じる。

 

このブログに癌のことを書くことを躊躇していた。書いてしまったら、そうではなかったころのこともぜんぶ癌に集約されてしまうような気がした。わたしたちが元気で仲良く暮らしている世界を残しておきたい気がした。

 

でも書いてよかったです。回復を祈っていてください。わたしが祈れなくなるときに、お会いしたことのないどなたかが、どこかでもちおの健康と平安を祈っていてくださるなら、どんなに心強いかわかりません。

 

そして祈りは、患者向けではなく、医療関係者向けの癌の最新治療について書かれた分厚い本に、各種化学療法と並んで紹介されるほど効果が認められているものなのです。*4すぐれた医療も、凄腕の医師も、驚異の食品も、奇跡的な健康法も、それとめぐりあうことができるかどうかは運にかかっています。

 

外は雨が降っていた。春休みで駐車場はぎっしり埋まっていたけれど、出入り口付近にぽこっとひとつ駐車場が空いていた。こういう幸運に恵まれるのはどなたかが祈っていてくださるからかもしれないと思いました。自分たちのちからに限界を感じるときにきっと思い出します。ありがとうございました。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:3枚も!

*2:4本も!

*3:「いつか買おう」くらいに思っていたけれど、実際に音が出始めてからの自分のうれしがりように自分で驚いた。何回分かの誕生日とクリスマスのプレゼント分くらいの喜びがありました。ありがとうございます!!!!

*4:例の如く図書館でもちおがどっさり借りてきた。

超おすすめ携帯食 土鍋で作る石焼き芋

$
0
0

さいきんの主食はもっぱら石焼き芋。春になってもずっと食べる予定。

 パレオダイエット的に最強の炭水化物、それは「サツマイモ」

 

栄養価もさることながら、石焼き芋は携帯食としてとても優秀。火が通れば味付けいらずで、素手で食べられて、新聞紙やキッチンペーパーで包んで携帯できて、皮ごと食べれば食べたあとゴミも出ない。一日、二日なら常温放置でどうということもない。

 

洗った芋を土鍋に入れて弱火にかけて1~2時間放置するだけで出来る。米を炊くより手間がないので支度も楽で、後片付けも簡単。余裕があるときは野菜やキノコ類、肉や魚をホイルで包んで乗せておく。焼き芋ができるころにはホイル焼きも出来上がり。

 

入院中のもちおを見舞いに通っていたころ、スーパーで石焼き芋を見つけてその便利さに気が付いた。以来自宅で作っている。石焼き芋を作りながら朝の支度をすませ、支度が出来たら焼き芋をチラシなどでさっと包み、信号待ちでもぐもぐ食べていた。石焼き芋はしっとりしているので喉に詰まらないのだ。

 

おにぎりやサンドイッチを作って持参しようとしたらこうはいかない。ばたばたしているときはコンビニで自分の軽食を買う時間を作るのも難しいので、焼き芋には大いに助けられた。サツマイモは年中売っているので、みなさんもぜひどうぞ。

 

用意するもの

土鍋

f:id:kutabirehateko:20160401104418j:plain

石焼で土鍋を使う場合「空炊きOKのもの」と書いている人もいたけれど、火加減さえ気をつければたぶんなんでもいい。なんならフライパンでもいい。*1これは炊飯用で3合炊き。

石焼き芋を作ったあと焦げをとらないと炊飯するときに困るので、使い終わったら石は取り出して重曹で洗う。

 

小石

f:id:kutabirehateko:20160401104411j:plain

たぶんなんでもいい。浴用に買った麦飯石を使っている。*2使い終わったら重曹で洗ってざるにいれて乾かす。

 

量はなべ底を覆う程度。

f:id:kutabirehateko:20160401104521j:plain

 

サツマイモ

f:id:kutabirehateko:20160401104425j:plain

サツマイモならなんでもいい。これは見切り品で100円だった。品種によって火の通りが違うので、様子を見ながら加熱するとよい。

 

石焼き芋の作り方

1.洗ったサツマイモを、底に小石を敷いた土鍋の上に並べる。

f:id:kutabirehateko:20160401104515j:plain

サツマイモは食塩水で洗うか、塩をしてもよい。

 

2.鍋を蛍火にかける 

f:id:kutabirehateko:20160401104511j:plain

とにかく弱火。なべ底に火が届かせてはいけない。これ以上絞ったら火が消えるというギリギリのところでよい。このまま放置。1時間くらいしたら芋をひっくり返して様子を見る。

 

完全に火が通るとサツマイモがあの石焼き芋独特のねっとり感をもつようになる。ぱさぱさしている間はまだ十分火が通っていない。2時間くらい気長に待つこと。

 

3.皮と実の間に空気が入り、実がねっとりしてきたら出来上がり。

f:id:kutabirehateko:20160402113633j:plain

f:id:kutabirehateko:20160402113618j:plain

これにバターをつけていただくと最高です。

 

もちおは茹でたり、蒸したりしたサツマイモは食べられなかったときも、焼き芋なら食べられることがあった。やわらかいのでお年寄りやおこさま、御病気の方にもおすすめです。「ほしいものリスト」にサツマイモや干し芋が上がっていたのは寄る年波の駄洒落ではなく、このような理由からだったのでございます。紛らわしくて申し訳ございませんでした。

*1:自己責任で。

*2:浴用で使う分はさらし作った巾着にいれて湯船で使用。

甥太郎と温泉に

$
0
0

*1

昨日は春休みで帰省してきた妹と高校生の甥が、はてこの父親夫婦とともにやってきた。もちおはすこし調子がよく、ベッドから起きてきていろいろ話をした。

 

少し前にわたしの実家の近くにいい温泉があると知った。「調子がよくなったらいこう」といっていたのだけれど、そこには家族風呂がない。もちおはやりすぎ温熱療法でブラックアウトしかけたことが何度かあるので、ひとりで入らせるのが不安だった。今日だったら甥がいる。ということで、急遽妹親子と温泉へいくことになった。

 

甥太郎が保育園から中学に入るまで、わたしたちは妹親子の近所で暮らしていた。もちおはよく甥太郎と風呂に入ってくれた。妹が離婚してから甥太郎と風呂に入れる男性はいなかったので、妹もわたしもこのことをとてもありがたく思っていた。とくに温泉など大浴場で男女わかれるときに甥太郎の心配をしなくてすむのはありがたかった。今回は甥太郎がもちおの力になってくれる。

 

もちおが容赦なく痩せていくのだ、いまこのくらいだ、と妹に話すと妹は「甥太郎と同じじゃん」といった。甥太郎はもちおより10cm背が高くなった。いわゆるヒョロガリだけれど不健康な感じではない。もちおが何キロ痩せたかに気をとられていると不安になるけれど、それで元気な人もいるとわかると少し安心する。

 

温泉はなかなかよかったようで、もちおは気分よく甥太郎とあれこれ話している声が、露天風呂の衝立ごしに聞こえた。上がってからも寝るまで身体が温かかった。

 

帰りに実家へ寄った。継母は「なんでも食べたいものを美味しく食べるのがいちばん」主義で、実家では「ガンによくないものリスト」に上げられるようなご馳走が出てきた。わたしはものすごくハラハラしたけれど、もちおは食べてみたいと思ったようで、パクパク食べていた。継母おおよろこび。でももちおの前で煙草を吸うのはやめてほしい。実家に泊まって湯治に通うように熱心にすすめられるけれど、煙草の煙がすごいから無理ですと言えないので足が遠のく。

 

帰りの車のなかでもちおが「前と同じものを食べられると、ちょっと『大丈夫なんだ』って気持ちになるんだよ。いつもあれじゃまずいけどね」といった。何にしても食べられることはありがたい。いくら身体によくても身体が受け付けなければそれまでだ。

 

「食べない」んじゃなくて「食べられない」のは本当につらい。でも食べてもっと悪くなったらと思うと怖い。「身体を動かさない」んじゃなくて「動かせない」のはつらい。でも動かしてさらに悪化したらと思うと怖い。がんを告知されたら読む本に、癌の怖さは痛みや不自由さではなく、不安で精神をむしばむところだと書いてあった。本当にそうだ。いちいち「これは吉か、凶か」と考えてしまう。

 

物語はこういう袋小路から抜け出す道を開く。漫画や小説やドラマや映画にもずいぶん助けられている。告知以来会っていなかった継妹が、会わなかった間に買い込んだ漫画をどっさり貸してくれた。

 

もちおは昨夜から今朝にかけて「岡崎に捧ぐ」を読んで爆笑していた。

f:id:kutabirehateko:20160402113613j:plain

わたしはお見舞いに贈っていただいた本を読ませていただいている。この本は「あれもこれもやったらダメ、あれもこれもやらなきゃダメ」という闘病縛り地獄感がなく、希望がある。読むのが楽しみ。

 

この本をプレゼントしてくださった方に、そしてバターや珈琲、ギフト券を送って下さったみなさんにも心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

「ひとりひとりにお礼をしたい」ともちおが申しておりますが、ご連絡先がわからない方へ、この場をお借りしてわたしたちの感謝をお伝えします。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:小学生のころの甥太郎画伯の絵


梯子を外す母

$
0
0

魔性の女、はてこ実母のお話です。まとめきれないので箇条書きにします。

 

こわい病気になった娘婿に自分が熱烈に信奉する漢方医を推奨し、断られる。

 理由:薬の値段が異常。HPが怪しい。プロフィール写真の人相が悪い

  ↓
「このお金を使って。治ったら働いて帰して」と薄い砥石ほどの札束が入った封筒を寄越す。*1

はてこ、感激。これまでの怨み辛み悲しみ寂しさ怒りなど水に流そうと思う。

ママがいてくれてよかった!母親がいるってありがたい!

  ↓

実母、鼻高々。

「はてこともっちゃんにはママがおいくら万円のお見舞いを渡してあるから!」

「はてこともっちゃんのお金のことは心配いらないのよ!」

と親類縁者に吹聴して周囲の見舞いを断念させる。*2

  ↓
娘夫婦、新幹線の距離を泊まりで漢方医に会いに行き、ずさんで不快な対応にびっくり

IKEA並みの紙袋いっぱいの生薬を煎じろといわれてにびっくり ※二週間分

目玉が飛び出るような額の薬にまたびっくり*3

クリスティーのドラマかと見まごう医師のマダム妻の金満自慢話にさらにびっくり*4

  ↓

帰宅後薬を煎じるが、もちお二日でリタイア

 理由:飲むと具合が悪くなる。*5材料を見てもなんだかわからない。出元がわからなくて不安。*6

  ↓

はてこ実母「お金をなんだと思ってるの!」と陰でキレる

  ↓

「言わないでおこうと思っていたけれど、」と夫の入院看護中の娘に当たる

  ↓

「せっかくのお薬を!」と末娘にも憤懣やるかたない思いをぶつける

  ↓

もちお、自分で試したいモノを見つける。価格は漢方薬の半額以下/月

  ↓

はてこ「お見舞いはもちおが試したいモノにあてさせてもらう」と伝える。

  ↓

1ヶ月後

「自分の老後も心配。あのお金、やっぱり返してください」とLINEを寄越す。

  ↓

はてこ呆然。

もちお「こうなるんじゃないかと思ったよ。返してくるから」

  ↓

実母、金を届けにきたこわい病気の真っ最中の娘婿に自分の愚痴不満不調オンステージを開催。

  ↓

資金繰り計画が水の泡。←いまここ

 

いつもながら最終的にビタイチ寄越さず、口車で油断させてこちらの財布を開かせ意のままに操り、自分の評判だけは上げるという見事な手口に感服する。こんな女を親戚にしてしまったことをもちおにすまなく思う。口車を真に受けて「母親がいてくれてありがたい」と涙した自分の肩をつかんで「目を覚ませ」とゆすぶりたい。何度ひっかかったら気が済むんだ。

 

わたしは人生の一大事で母から何度も梯子を外されてきた。でもさー。わたしはともかく、もちおにやると思わないじゃん。こんな大学病院からお墨付きで命の危機だって言われてるときに。いくら梯子外しが得意技で注目浴びたがりでも、時と場と相手を選ぶと思うじゃん。まさかこんなときに、もちおの命がかかっているときに、心底追い詰められてるときにやるとは思わなかった。

 

ちなみに東京往復の旅費、宿泊費、薬代は、先日みなさまがくださったAmazonギフト券などのお見舞いでかなり補填できる模様でございます。近くの身内より見知らぬ他人さまですね。これからも知らない方のご親切に感謝して生きて行こうと思います。

 

いや、違うよね。わたしもっと働いて稼がないとだよね。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:母はかつてはてこ宛てに送られていた養育費をはてこに寄越さず着服していたのであるけれども、その時の金額プラスαくらいあった。

*2:正直母の支援だけでは足りないので、そういう根回しはしなくてくれてよかった。

*3:サラリーマン平均月収半分くらい

*4:ロココ調の陶器のランプを並べた待合室でゴディバのチョコレートを出され、抹茶茶碗に”赤坂で焙じた”焙じ茶が出た。茶畑よりどこで焙じたかがたいせつなそうです。「以前は赤坂に医院を開いていたんですの。でもこういったお商売に向かない街でしたので」癌患者向けのお商売なのですね。

*5:伯父もそこの病院にかかったが、毎回薬を飲めと怒る母と飲みたくないと怒る伯父と大喧嘩だったとのこと。

*6:筆ペンで生薬が手当り次第に書かれていた。

薩摩から届いたさつまいも

$
0
0

f:id:kutabirehateko:20160402113618j:plain*1

薩摩の国に住む方からお芋が届いた。さっそく石焼き芋にして、お昼に出した。もちおは小さく細いお芋を一本食べて寝室へ戻った。ジューサーで絞ったコップ一杯のジュースとカレー二匙、小さなさつまいもでお腹がいっぱいになる。それでもふつうの食事が食べられるようになったのは本当にありがたい。一時期は野菜ジュースを目の細かい茶こしで濾して飲んでいた。

 

しばらくして午後に飲む錠剤一式と芋の乗った皿を持って寝室へ様子を見にいった。ipadでネットを見ている。わたしは芋を半分に割って「食べたかったらいってね」とつたえて、芋を食べながら「このお芋、なると金時っていうんだよ」といった。

 

「へえ。さつまいもって、薩摩から来るんだろうね」

「そうだよ。このお芋も薩摩から来たんだよ。鹿児島から送って下さったんだもの」

「え!そうなの?」

 

もちおは眺めていた芋が知人からのお見舞いだと知るとすぐさま芋を手に取った。

「さっきのも、そう?」

「そうだよ。鹿児島のお芋をいろいろ詰合せて送って下さったの」

「そうか…」

もちおはせっせと芋の皮を剥いて、いつのまにか残りの芋をぜんぶ食べてしまった。

 

さつまいもとお見舞いの品には力がある。わたしも「芋食ってげんきだすぞ」と思った。でもそろそろさつまいもの季節は終わりね。

今日はこれからAmazonの段ボールをまとめて縛る予定。 

 

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:これは近所で買ったさつまいも。

妻の飯マズで夫の命が危ないらしくて生きるのがつらい

$
0
0

結婚した当初からわかっていたことだけれど、もちおとわたしは味付けの好みが合わない。それでもこれまでは歩み寄りが可能な範囲にあった。しかしガン対策としての食事療法という視点から食事を考えるようになって、味覚の相違は致命的なものになりつつある。つらい。まいにちまいにち食事を作るのが苦痛で仕方がない。

 

もちおは炭水化物を主体に濃い目の味付けのタンパク質がおかずになっているものが好き。わたしは出汁を効かせて野菜主体の薄味の料理が好き。

 

ガン対策に有効だとされるのはわたし好みの味付けのものなのだけれど、これがもう大不評でつらい。さまざまな健康法のなかで縛りがものすごくあるなかで取捨選択しながら献立を考えるのがまずつらい。そして作ったものを出して、不平不満を食らうのがつらい。せっかくの薄味に調味料をだばーっとかけられるのがつらい。

 

そんなつらい食事でも「このメニューなら大丈夫か」と思って、続けて出すともう二回目は文句たらたらなのでそれがまたつらい。この縛りの中で毎食違うものを作って出すなんてわたしには課題が大きすぎる。しかももちおはかつてないほどの小食ぶりなので、食材が余る。買物したり、作り置きしたりする時間がない。抗がん剤の副作用もあるので、作り置きすることも心配だ。

 

朝から晩までガン対策に作ったジュースだけを何リットルも飲んで完治した人のブログを読んだことがある。その方の奥さまは何キロもの野菜を毎日箱で買ってきて、自転車で運んでいたそうだ。完治した人の手記にはしばしば飯ウマで有能な奥様が登場する。

 

その人は自分の食事方法を自分で決めて、はっきり具体的に奥様に伝えていらっしゃった。うらやましい。もちおは漠然と美味しいものが食べたいと思っていて、出てきたものが気に入らないと嫌な顔をする。何が食べたい?と聞いて、食事療法にひっかかる材料が出てきた場合、それはどうするの?と聞くと、「じゃあいい」と不貞腐れる。

 

わたしは諦めさせたくて聞き返すのではなく、もちおが今後どういう方針で食事を作ってほしいのかをたずねるのだけれど、笑顔で「いいよ」といってもらえないと、もちおは嫌なのだ。でもこの下のリストを見てください。この中から夫の命を預かる究極の選択をしなさいと日々迫られる身が、どれほど緊張感のあるものか。

 

「選択が間違っていた場合、あなたの夫の寿命が縮まります。夫の病状は悪化し、苦しく辛い日々が待っています。それでいいですね?」

と料理をするたび切っ先を突きつけられる気持ちだ。

 

食事療法 主食編


     ┣精白厳禁派*1
     ┃ ┣白砂糖、小麦、白米製品は減らした方がいいよ派
     ┃ ┣雑穀米や全粒小麦、黒砂糖ならOKだよ派
     ┃ ┗その他
     ┃    炭水化物は芋からとるべきだよ派
     ┃    ┗大麦中心のオートミールを主食にするべきだよ派
     ┃
     ┣玄米推奨派*2
     ┃ ┣玄米を取りいれるといいよ派
     ┃ ┃ ┗白米も食べつつ玄米粉や玄米粉製品も活用するといいよ派
     ┃ ┗玄米以外の穀物は避けるべきだよ派
     ┃   玄米パン、玄米飯、玄米餅を食べるべきだよ派
     ┃   発芽玄米飯を食べるべきだよ派
     ┃   抗栄養素を無効化するため発芽玄米を乾煎りして炊くべきだよ派
     ┃   生玄米粉をクリームにして食べるべきだよ派
     ┃   ┗生玄米粉を炊かずに齧るべきだよ派
     ┃
     ┣反玄米派
     ┃ ┗玄米は抗栄養素が多く消化に悪いので避けるべきだよ派
     ┃       白米でも小麦でも玄米よりましだよ派
     ┃       ┗白米に雑穀を混ぜて食べるといいよ派
     ┃
     ┗糖質制限派*3
       ┣米、麦、芋、果物などあらゆる糖質は減らした方がいいよ派
       ┗米、麦、芋、果物、野菜含めてあらゆる糖質は0にすべきだよ派

 

食事療法 タンパク質編

     ┣動物性、植物性蛋白質OK派*4
     ┃ ┣なんでもほどほどの量を消化よく調理して食べたらいいよ派
     ┃ 抗生物質など薬漬けでない餌で育った動物の肉ならいいよ派
     ┃ ┗穀物で育った牛はダメだけどグラスフェッドビーフならいいよ派

     ┃
     ┣哺乳動物はダメだけど鶏肉、魚、卵なら食べてもいいよ派*5
     ┃   ┣薬漬けのブロイラー以外なら鶏肉も食べていいよ派
     ┃   ┗天然の青魚と白身魚なら食べていいよ派
     ┃
     ┣肉、魚は食べたらダメだよ派*6

     ┃   ┣卵と豆からタンパク質をとるべきだよ派
     ┃   ┣豆からタンパク質をとるべきだよ派
     ┃   ┗出汁を含めて動物性蛋白質は全面撤廃すべきだよ派 
     ┃

     ┣乳製品は食べたらダメだよ派*7
     ┃ ┣チーズやヨーグルトは発酵食品だからいいよ派
     ┃ ┣ヨーグルトだけはいいよ派
     ┃ ┗乳製品はぜんぶやめるべきだよ派
     ┃
     ┣卵は食べたらダメだよ派
     ┃   ┣薬の混ざっていない餌で育った自然に近い鶏の卵ならいいよ派
     ┃   ┗卵は腸内環境によくないよ派*8
     ┃
     大豆製品は食べたらダメだよ派*9
         ┣豆乳豆腐はNG、味噌とテンペは発酵食品だからOKだよ派
         ┗豆乳は糖質を含むからダメだよ派(糖質制限派)

 

食事療法 調味料編

     ┣食べられるものを何でも美味しく食べればOK派
     ┃ ┣砂糖、塩、酒、化学調味料なんでもOKだよ派
     ┃ ┗化学調味料を避ければなんでもOKだよ派
     ┃
     ┣砂糖NG派*10
     ┃   ┣黒砂糖や蜂蜜ならOKだよ派
     ┃   ┣甘味は素材から引き出すべきだよ派
     ┃   ┗調味料も甘味のある素材も避けるべきだよ派
     ┃
     ┣酒NG派*11
     ┃   ┣料理酒はアルコールを飛ばして少量使うよ派
     ┃   ┗アルコールはアレルギー対策並みに全面撤廃だよ派
     ┃
     ┣塩NG派*12
     ┃   ┣塩分は控え目にすべきだよ派
     ┃   ┗塩分は全面撤廃すべきだよ派
     ┃
     ┣油NG派*13
     ┃   ┣油は控え目、揚げ物は避けるよ派
     ┃   ┣オメガ6が少なく、中佐脂肪酸の多い油だけ使うよ派*14
     ┃   ┣加熱した油は全面撤廃だよ派
     ┃   ┗脂肪を含めて油は全面撤廃だよ派
     ┃
     香辛料NG派*15
         ┣唐辛子など刺激物は避けるよ派
         ┣100%無添加のものだけ使うよ派
         ┗香辛料はいっさい使わないよ派

 

野菜編もあるけど、時間がかかりすぎるので省略。このほか食べるべきもの、避けるべきもの、一緒に食べてはいけないものなどの縛りも山ほどある。「複数の炭水化物を同時にとってはいけない」「複数の果物を同時にとってはいけない」「食後に果物を食べてはいけない」。「たいへん、トロロ蕎麦って炭水化物同士だった!」みたいな。

 

ご飯が美味しくない、楽しくないともちおは言う。言うとはてこさんが怒るから言いたくないと言う。実際には気に入らない食事のときはあからさまに不味そうに食べるので、だったらどうしてほしいのか、どうしたいのか話し合いたい。

 

でも料理しない人あるあるだけど、漠然と何か美味しいものが食べたいけれど、それが何なのか、どうしたらそうなるのか、そしてそれを作るのにどれくらい手間と費用がかかるのか、もちおにはわからない。だから丸投げするしかない。そして美味しくなければ落胆する。極めつけは、愛されていないと思う。「俺の身になって考えていないから、はてこは美味しくないものを体にいいと無理に食べさせようとしてくるのだ」と考えているんじゃないかと思う。ピーマン食べさせられる子供みたいな反応をする。

 

つらい。ほんとつらい。わたしは同じものを毎日食べてもぜんぜん飽きないし、白湯を飲んで「ほんのり甘いなあ」と思ったりするので、この縛りの中で濃い味の違う料理を毎食出すとかもうほんとつらい。出来ない。泣いてしまう。「しっぱいしたら、旦那さん、死にますよ」と心の中で死神がささやく。

 

でもさ。辰巳芳子さんの「あなたのために」の通りに鰯のつみれ汁を作ったら、ちゃんと「美味しい」って言って食べるのよね。だからわたしの腕が不味いんだと思うわ。辰巳芳子さんが奥さんだったらよかったのにね。めそめそめそ。ああ、今日もご飯の時間。

*1:精白した穀類にはカロリー当りの栄養素が少ない。またこれらは血糖値を急激に上昇させ、癌細胞を活性化させる。

*2:白米と比較してカロリー当りの栄養素が豊富。また毒素や有害物質の排出効果が高い。

*3:癌は嫌気性代謝でぶどう糖を好む。PET検査はこの特徴を活かして開発された。

*4:癌はタンパク質を分解して糖にかえて消費する(糖新生)。癌患者は筋肉を保つために良質なたんぱく質が普通以上に必要。

*5:哺乳動物の肉食は悪玉菌を増やし、腸内環境を悪くする。

*6:動物性蛋白質は腸内環境に悪い。

*7:糖質を避ける意味で乳糖を避ける。日本人は乳糖を分解する酵素が少ないという説もある。がんについては諸説あるけれど、乳がん、前立せんがんを悪化させるのははっきりしてるみたい。

*8:卵は遅発型アレルゲンとして幅を効かせており、リーキーガットを引き起こすことが多い。

*9:発酵していない大豆食品はホルモンバランスを崩し、リーキーガットを引き起こすという説がある。

*10:血糖値の急上昇を起こし、ガンを活性化させる。

*11:腸内環境によくない。

*12:塩分は腎臓に負担をかける。またナトリウムを輩出し、カリウムを摂取することがガン治療になるとうい説がある。

*13:酸化した油は活性酸素を作り、細胞を傷つける。

*14:オリーブオイル、ココナツオイル、パーム油、ギーなど。

*15:胃壁を刺激し、傷つける。

がん治療とセックスとオナニー

$
0
0

ブログにセックスの話を書くとブクマとTwitter性教育の教室みたいになるけど、またしてもセックスの話。今回はオナニーも含むよ!

 

抗がん剤投与中の説明文を飛ばし読みされる

みなさんは抗がん剤服薬中の方とセックスをしたことがありますか?

また抗がん剤服薬中にセックスを、オナニーをしたことがありますか? 

 

医師からもちおの抗がん剤治療開始の説明を受けていた時のこと。

「あなたたち、年齢的にも雰囲気からいっても、セックスレスですよね?」

と思われたのか、抗がん剤の副作用を予言する恐ろしい説明文のなかの

抗がん剤服用中は必ず避妊してください。妊娠を望む場合は医師に相談してください」

という箇所だけを、なぜか読み飛ばされた。

 

今回もちおが使う薬は国内で認可されたばかりで、いくつかの病院で実験的にためしていることもあり、その治験に参加することもあって説明がいちいちかなり細かかった。なのでセックスに関するところだけ飛ばされたことには違和感があった。

 

100%真顔の医師は「ひとつも漏らさず説明する」という意気込みで、悪夢のような副作用をひとつひとつ読み上げ、神経がぴりぴりするような注意点を念押しし、「すべて説明を受けました。理解した上で同意しました」とサインするようにうながした。神妙な面持ちのもちおに続いてわたしも同意書にサインをした。

 

「ほかは全部読んだのに、セックスのところだけ飛ばしたね」

「気まずかったんじゃろう」

「だいじなことなのにね。うちはセックスレスだろうと思って飛ばしたのかなー」

と、あとでもちおと話した。その後わたしの頭の中では素朴な疑問がどんどん膨れ上がっていった。

 

抗がん剤服薬中のセックスにまつわる素朴な疑問

説明の中には「化学療法*1中の人が使ったトイレは水でしっかり流し、しぶきなど飛び散っていないかよく見るように」というものもあった。ここはしっかり音読された。おそらく排泄物に有害物質が混ざるのだろう。

 

飛沫程度で注意を促されるのなら抗がん剤投与を受けている人の精子を粘膜に受けるのは危ない、ということかもしれない。じゃあ抗がん剤投与を受けている女性の膣はどの程度危ないの?

 

「避妊しろっていうのはなぜですか?

抗がん剤を服薬した人の精子卵子に催奇性があるから?

避妊ってコンドームをつけろということですか?ピルでもいいんですか?

パイプカットしてたり閉経してたりしたら関係ないですか?

 

それとも化学療法中の粘膜接触が有害だから?

じゃあキスは?オーラルセックスもだめ?

化学療法中の人の精子を口や顔で受けるのも危ないの?

飲尿食糞も危険なの?

そういうのってAV業界や風俗業界にも周知されているの?*2

 

このような素朴な疑問に答えてくれる本を図書館で見つけた。

 

セックスしてもいい白血球数が知りたい

がん患者のセックス の著者長谷川まり子さんは、抗がん剤投与を受ける恋人に会うため病院へ通っていた。抗がん剤投与がはじまってからは免疫力の低下に伴う感染を恐れ、何から何まで片っ端から消毒していたそうだ。そして恋人にキスをすることで相手に病気をうつす恐れがないのか不安に思っていた。

 

愛する人を抱きしめる。キスをする。愛し合う。これらはみな人を安心させる。安心すれば免疫が上がる。でも肉体的に悪影響はないのか。

 

髪の毛が抜ける、皮膚がただれる、口内炎に悩まされるといったつらい症状が出はじめるとそのような不安は増す。免疫低下が著しいときは避けるとして、どこまで回復したらセックスを再開していいのか。

 

こうしてノンフィクション作家である長谷川さんはガン治療に関係した性にまつわるアドバイスを国内、国外を問わず探し求める。しかしガン治療と性に関する情報はびっくりするほど少なく、わずかなアドバイスもほとんどは英文のものだった。

 

最終的に白血球数2000以上であればセックスしてよいという指針を見つけ、二人は愛し合う。行為のあとぐったりしている恋人にまり子さんは気分をたずねる。「生きてるってかんじ」と恋人は答えた。

 

がん治療と性的欲求の葛藤

抗がん剤による免疫低下だけではなく、がん治療によるセックスの影響は多岐にわたる。ある男性は体調がどの程度回復したのか確かめたくてオナニーをして、射精した精子の色にドン引きする。いったい精巣に何が起きているのか。

 

また別の男性は化学療法後の射精に驚くほど体力を奪われ、射精することが恐ろしくなる。こんなに体力を奪う行為はがんを再発させるのではないかと不安になり、妻を抱けない。

 

子宮がん、卵巣がんによって膣が短くなり、分泌がよくない。性交痛があるが、求めてくれるパートナーにそのことをいえない。痛みが怖くて、理由をいえないままパートナーを避けるようになる。反対にパートナーに求められないのは自分が女性として不完全になったからだと感じて打ちのめされる人もいる。

 

大腸がんなどで人工肛門オストメイトを利用するようになり、ベッドの中で臭うのではないか、汚いと思われるのではないかと気が気ではないという人もいる。乳がんで乳房を切除して自分のボディイメージを悪い方へ考えずにいられなくなった人もいる。

 

これらに加えてがんの告知を経験した人はみな大なり小なり再発と悪化を恐れている。セックスやオナニーが身体に悪いかもしれない、死へ直結するかもしれないと思うのは恐ろしいことだ。性欲は食欲や睡眠と同じ生理的な欲求なのに、自然な欲求を満たすことが苦痛を伴う死につながるかもしれないと考えるのは本当につらい。またその不安から愛する人と性を分かち合うことを断念することもとても寂しく胸の痛むことだ。

 

医療の場でセックスの話題を避ける風潮

日本の医療のなかではセックスは子作り、また排泄行為と同じくくりにされているようで、こういったデリケートな問題について相談する窓口がほとんどない。長谷川さんが取材を続けるなかで登場する人々の意見を読んでいると「命が助かればそんなことはどうでもいいだろう」という風潮が医師の中にも患者の理性の中にもあるように思う。

 

しかし世の中には勇敢で心ある人がいる。この本の中にはこうした悩みを直接聞く立場にいた看護士たちが立ち上がり、相談機関やよくある悩みに具体的に答える冊子を作った経緯が書かれていた。サガミオリジナルでおなじみの相模ゴムに精子がゴムからこぼれる確率を取材し、ゴムアレルギーの人向けのポリウレタン製コンドームと潤滑剤としておすすめ素材のゼリーをサンプル提供したりしているそうだ。

 

ところがこの冊子に対して「赤裸々すぎる」「オーラルセックスについて書くなんて」という批判があったというから驚く。医療従事者が書かないで誰が書くんだ。これには本当にあきれた。

 

詳しくはぜひ書籍を手に取って読んでほしい。んだけど、図書館までいけない人、amazonで買い物できる状況じゃない人もいるよね。というわけで、注意点として書かれていたことを以下にまとめます。詳しくはお医者さんに確認してね。そういう相談にのってくれるお医者さんが見つかることを祈るよ。

 

がん治療中のセックスやオナニーの注意点

・セックスは白血球数2000以上になってからがよい

抗がん剤投与中は粘膜接触を控えた方がよい。キスは軽いものならOK

・挿入行為はコンドームを使う。ゴムアレルギーはポリウレタン製がおすすめ

・濡れにくい場合は潤滑剤を使うと良い*3

抗がん剤がどの程度精子に含まれるかは未知数。念のため粘膜接触は避ける

・妊娠を望む場合は抗がん剤投与が始まる前に精子卵子を冷凍保存することもできる

・傷口から感染する恐れがあるので皮膚を傷つける行為は避ける

・臓器を切除したあとで内臓が安定しない場合は体位を工夫する

・手術後の勃起不全にはバイアグラの処方が認められる場合があるので応相談

 

この本には書かれていなかったけれど、ガンやAIDSのように粘膜接触を控えたい人のためのセックスの楽しみ方はあると思うんだよね。水嶋かおりんさんはセックスワーカーのために粘膜接触なしのセックスワークを推奨していたけど、そういうテクニックが闘病中の人やそのパートナーのためにも広まっていくとといいよね。いわゆる「舐めて突っ込んで腰振ってぐったり」じゃない方法で愛し合う方法がたくさんあるといいのに。

 

内科医のミルトン・エリクソンは下半身が不随になった女性に乳房でオルガズムスに達することが可能だと示唆した。彼女は実際にその方法で種類は違えどこれまでと同様の高まりをえることができて、セックスを楽しんだ。そして数年後には母親になった。

 

重い病気になると、目の前の問題に加えて「これまで楽しんだあれこれを、今後楽しむことはもうできないんだ」と思うのがつらい。セックスやオナニーもそのひとつになることがある。でも創意工夫で新しいお楽しみを楽しむ方法はある。そしてそういった性の喜びを探求することは生きている喜びのひとつで、あさましいことでも、見下されるようなことでもないんだよね。

 

病気はあってもみんなハッピーセクシャルライフで人生を謳歌できるといいよね。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:抗がん剤投与を受けること

*2:AV女優の麻美ゆまさんががんになったことは有名だ。現役のAV女優、男優やセックスワーカーの中にも、またセックスワーク利用者の中にも抗がん剤治療を受けている人がいるかもしれない。

*3:メーカーは書いていなかったけど、おすすめがあるみたい。

身体を張ったファンサービス反対

$
0
0

f:id:kutabirehateko:20140930231617p:plain

抗がん剤は血液検査を受けながら服薬と休薬を繰り返して使う。服薬、休薬を1セットを1クールとして、数回繰り返してからCTなど各種検査を受け、癌が縮小しているかどうかを調べる。縮小がみられなければ薬を替える。

 

一般的に抗がん剤投与直後は副作用がキツく、休薬期間は身体が楽になる。もちおは昨日から休薬期間に入った。次の投薬までにやりたいことがたくさんある。

 

まずはてこ実家近くの温泉へいき、帰りに会社へ寄って用事を済ませ、はてこ実家へ顔を出した。継母はもちおが来ると聞いて、もちお向けの晩ご飯をあれこれ考えていたようだけれど、予定が詰まっているのですぐ帰ると伝えた。ちょっと、拗ねていた。

 

「じゃあこれ、持って帰りなさい」と用意していたお見舞いを渡された。桃のシロップ漬け缶詰、生姜のシロップに生姜飴。むーん。

 

今後の事もあるので礼を述べてからもちおが食事療法として砂糖を避けていることを伝えた。「じゃあこれ、みんなダメじゃない」「ありがとう、気持ちはとてもうれしいんだけど…」気まずい沈黙。

 

「しょんぼりしていて元気がないとき、病気見舞い、食欲のないときには甘いもの」と思っている方からしばしばお見舞いに甘いものをいただくことがある。しかし星の数ほどあるガンの食事療法で共通してみられることがただひとつあるとすれば、砂糖と小麦を避けろということなのですよ。*1

 

「じゃあはてこが食べればいいじゃん?」はてこは中年期を過ぎてからめっきり甘いものを胃が受け付けなくなってのう。あと自閉症者に多いという小麦の遅発性アレルギーがあるようで、小麦を摂ると激しく情緒不安定になるので避けておるのじゃ。*2

 

というわけで、我が家ではいまスイーツなら干し芋。チョコレートより焼き海苔。血の滴るようなビフテキ*3より地べたを走り回って育った鶏肉あたりがうれしい。

 

ところがですよ。

 

「というわけで、これは食べられないの。お気持ちだけいただきます」

とはてこがいうと、もちおが横から

「あ!もちお、それ食べたい!」

とか、いうわけですよ。

 

「え、食べるの?」

「うん!ちょっとずつ食べる」

「まあ、そう。食べられるなら食べなさいよ。ねえ、ほら持って行って」

 

二人きりのときは「食べないから断固出してくれるな」というものを、よそさまにすすめられるとよろこんで「食べる!」という日和見なもちお。これをよそさまの前でもちおはちょいちょいやる。これじゃはてこが子供に甘いものを禁止している厳格な母親みたいじゃないですか。継母も「なんだ、はてこが禁止してるのね」っつー顔してますよ。違うのに!

 

もちおは相手がしてほしそうなことを、自分がしたいこと、すべきことだと感じるところがある。なので相手が飲んでほしいと思っていれば急性アルコール中毒寸前まで飲むし、相手が食べてほしそうならあとで吐くまで食べる。癌によくないと徹底して避けていたはずのものも食べようとする。

 

そして「この件についてどうしたいの?」と白黒はっきりさせようとされるのを嫌う。わたしがどうしてほしがっているのか探ろうとしたりする。もちおの「どっちでもいい」はだいたいどっちでもよくないときに使われる。「これからそうする」は「そうしたい」という意味でも、「そうすることに決めた」という意味でもない。

 

こういうの、アスぺルガーシンドロームなワイフにはとても困る。わたしだってある程度は場の空気と相手で食べるものや飲むものを変える。でも命がかかっているときにまでそうするというのが、わたしには理解できない。

 

実家は「もちおはうちに来るとなんでも喜んでよく食べる」と喜んでいる。しかしもちおはあとで苦しくて呻いている。二日酔いのときと同じだ。相手の喜ぶ顔見たさに無茶をして苦しむ。この期に及んで。

 

「あとで苦しがるからすすめないで」といいたい。でも言った端からもちおが「大丈夫!食べたい!」といえば、周りは「はてこが過敏になってもちおの食事を本人の意思を無視してコントロールしている」と思う。

 

こういう家族の顔を潰してまでする命がけのファンサービスは止めていただきたい。

 

もちおは自分の身体のために自分で選んだサプリを飲んだり健康法をやったりするたびに「はてこのために今日もあれを飲んだよ!やったよ!」と言いに来る。*4自分のために生きるのは難しいんかいのう。わたしもつい「ありがとう、がんばったねえ」とかいっちゃうんだよね。でも自分のためじゃないと、はてこのためにやってるなら、はてこを嫌になったらやめちゃうじゃない。それじゃ困っちゃうわ。 

↑「おもしろかった」と簡単にいえる話ではなかったけれど、読み応えがあった。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:果物と蜂蜜あたりは意見が分かれるんだけども。

*2:もちおにつきあって食事療法を試した結果、大喧嘩、大泣きの直前に小麦食品を食べていることがわかったので、食べるのを止めた。数年前別件で小麦アレルギーを指摘されたことがあったのだけれど、信じたくなかったので知らぬ存ぜぬで通してきたのであった。

*3:ステーキよりビフテキのが美味しそうだよね。

*4:わたしへのサービスで食事療法をしているのならそこもはっきりさせてほしい。

Viewing all 359 articles
Browse latest View live